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林真理子「成熟スイッチ」 バトンを握り後輩に奢ろう

 人間ドックで「握力が弱い」とC判定を食らった。ハンドグリップでも買うかと考えていた矢先、本書を読めばと言われて飛びつく。日本大学で初となる女性理事長の椅子をガッチリ摑(つか)んだ林真理子が、『野心のすすめ』に続いてその手の内を明かす本である。読めば私も人生の握力が鍛えられそうだ。
 年齢を重ねたからといって自然と成熟するわけではない、小さな変化の積み重ねで人生が大きく変わるのだ、と筆者は繰り返し説く。各界の先達から贈られた言葉を懐かしみ、あんなふうになれたらと語りつつ、身近に老醜の例があれば情け容赦なく斬る。古希を見据えた内面変化の振り返りも面白い。一生サブカル枠ではいられないと大衆向けの王道へ舵(かじ)を切った結果、ずいぶん保守的な人間になったが、それが地金かもしれない、と自身を冷ややかに俯瞰(ふかん)している。茹(ゆ)でガエルのように無自覚なまま右傾化するそこらの老害とは大違い、さすが。

 一方で、中高年が誰しも抱く「若者に何かしてあげ(てあわよくば感謝され)たい」欲望の発露については、これは麗しい、これは見苦しい、といったジャッジが独特で、首を傾(かし)げることも。出る杭として打たれ叩(たた)かれながら得た己の強さを、より弱き者たちのために分け与え、救われる側から救う側に回るのが成熟期。その力加減、ハラスメントなきパワーの行使とは、それだけ難しいことなのである。
 親しい人々を順に喪(うしな)い、人生の残り時間を数え、暗澹(あんたん)たる気持ちになる、という一節をしんみり読み進めていたら、続く一文が「あまりに落ち込んだので、京都に熊を食べに行きました」で、大笑いしながら涙を拭って付箋(ふせん)を立てた。あやかりたい、この明るさ。見解の相違はあれど、我々は彼女たちが踏み固めてくれたおかげで少し歩きやすくなった、その同じ道を進むのだ。手渡されたバトンを握りしめ、もし熊をご馳走(ちそう)になったら続く後輩に河豚(ふぐ)を奢(おご)り、それぞれの成熟を目指していこう。=朝日新聞2023年1月21日掲載

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 講談社現代新書・924円=5刷12万部。昨年11月刊。「購買者の約4分の3が女性。帯やタイトルにひかれたとの声も多い」と版元。