「貸本屋おせん」書評 全編に満ちる書物への深い愛情
ISBN: 9784163916279
発売⽇: 2022/11/25
サイズ: 19cm/233p
「貸本屋おせん」 [著]高瀬乃一
貸本屋とは現代ではとんと見なくなった業種だが、書籍が高価だった江戸時代には庶民の読書文化を支える大切な商いであった。彼らは本を背負って得意先を回る一方、様々な手立てで書籍を仕入れ、時に自ら写本までして客の求めに応じた。本書の主人公は、創業5年目の駆け出し貸本屋梅鉢屋おせん。何かと手を貸したがる幼馴染(おさななじみ)の八百屋・登に甘えもせず、本のためなら猪突(ちょとつ)猛進。山のような貸本を高々と担い、江戸市中を飛び回る。そんなおせんが書物に関する謎を解き明かす本作は、本への深い愛情が全編に満ちており、それだけで読書好きを虜(とりこ)にすること請け合いだ。
ただおせんが生きるこの時代の出版文化は、決して恵まれていたわけではない。『南総里見八犬伝』で知られる戯作(げさく)者・滝沢馬琴が今や世界に名の轟(とどろ)く絵師・葛飾北斎と組んで読本を書く一方、十数年前の寛政の改革の影響はいまだ大きく、風俗を乱す好色本や政治批判を含む書物は取り締まりの対象である。おせんの父はかつて、読本の挿絵や錦絵の版木を彫る腕のいい彫師であった。だが幕府に批判的な書物の出版に関わった疑いから、奉行所に仕事道具一切を奪われた上、指まで折られ、失意のあまり自死してしまう。天涯孤独となったおせんを支えるのはそんな浮世への疑問であり、それでもなお失せぬ書物への信頼だ。だからおせんは人々に知識と娯楽を届けるべく、時に自ら危ない橋を渡ってでも東奔西走を続ける。
版木が盗まれた馬琴の新作、おせんが探索を頼まれる『源氏物語』の幻の巻など、本書に登場する書籍はいずれもただ読まれるだけの存在ではない。人の喜怒哀楽の象徴であり、そこには数多(あまた)の人生が詰め込まれている。そしておせんは亡き父の存在を胸に書籍を届ける一方、周囲の人々の思いを受けて、自身も新たな道へと歩み出す。
人と知への深い信頼に満ちた清明たる物語である。
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たかせ・のいち 1973年生まれ。2020年、「をりをり よみ耽(ふけ)り」(本書所収)でオール読物新人賞を受賞。