暦の上では今日から春。しかし、2月の北東北はまだ冬だ。
桂離宮や白川郷の合掌造りを評価したドイツの建築家・ブルーノ・タウトは『日本美の再発見』(1939年/篠田英雄訳/岩波新書)の中に「冬の秋田」という一章を設け、秋田の雪景色を激賞している。
ことに彼の心をとらえたのは横手のかまくらだった。〈これほど美しいものを私は曾(か)つて見たこともなければ、また予期もしていなかった。これは今度の旅行の冠冕(かんべん)だ〉
辛口のタウトを脱帽させた雪の伝統文化。彼が秋田を旅したのは昭和11(1936)年2月6~11日。ちょうど今頃の季節である。
『青い山脈』などで知られる石坂洋次郎は、その横手の女学校と中学校で大正15(1926)年から計13年間、教員生活を送った。
『山と川のある町』(1956年/講談社文庫など)は横手らしき町をモデルにした作品だ。戦後、男女共学になった高校で教える若き教師と、彼の教え子である女生徒を中心に進む物語は鳥海山を望む晩秋の風景の中で進み、最後、初雪の朝で終わる。〈一尺あまりも降りつもった新雪は、地上を白い厚いベールでおおっていた〉。世俗のゴタゴタをすべてチャラにする雪。物語自体は眠たいところもあるのだが、このラストシーンで一気に目が覚める。
とは申せ、北東北の冬は都会育ちのひ弱な人には脅威である。
内向の世代の作家・高井有一の芥川賞受賞作『北の河』(1966年/小学館P+D BOOKS)はそれを切ない形で描きだした名短編だ。戦争末期、亡き父の郷里に疎開してきた母子。敗戦後、母は帰京を望むも東京の家は空襲で焼け、実家にも寄留を拒否されて頼るあてもない。〈貴方(あなた)、この町の冬を考えた事があって〉〈雪が丈よりも高く積(つも)るのよ〉
そして冬を前に、母は自ら命を絶つのである。作者自身の体験に基づく自伝的小説。舞台は武家屋敷で知られる角館(かくのだて)(仙北市)。少年の不安が凝縮された冬である。
その角館から秋田内陸縦貫鉄道で北上。阿仁打当(あにうっとう)(北秋田市)はマタギの地。熊谷達也の直木賞受賞作『邂逅(かいこう)の森』(2004年/文春文庫)は明治中期にここで生まれた青年の流転を描いた傑作長編だ。
14歳から父や兄と山で猟の腕を磨いてきた松橋富治は、25歳になったある日、恋愛事件を起こして村を追われ、隣町の阿仁鉱山で働きはじめる。やがて彼は一人前の鉱夫として独立するが、それでも募るマタギへの思い。狩猟のシーズンは冬。雪中、クマと対決するシーンは圧巻でノックアウト必至である。
富治が一時鉱山労働者になったように、秋田はかつて日本有数の鉱山を有する県だった。芥川賞候補になった小砂川チトのデビュー作『家庭用安心坑夫』(2022年/講談社)は最新の鉱山文学だ。
鹿角(かづの)市で生まれ、今は東京で暮らす主人公の小波はある日、東京で「父」の痕跡を見つける。母に〈あれがあなたのお父さんよ〉と聞かされてきた人の名は尾去沢ツトム。同市内の廃鉱山を利用した施設「マインランド尾去沢(現在は史跡尾去沢鉱山)」の坑内に、坑夫の姿で展示されたマネキン人形(!)だった。小波は「父」を連れ出そうと決意する。現実と幻想が渾然(こんぜん)一体となった作風はシュールかつポップ。鹿角市は即刻ご当地文学に認定されたし。
さて、秋田が誇る歴史上のスターといえば柳田國男が「民俗学の祖」と呼んだ菅江真澄だ。江戸後期、三河の国(愛知県)に生まれた真澄は数え30歳で故郷を出発、東北各地や蝦夷地を歩き、晩年は久保田藩(秋田県)で地誌を編纂(へんさん)した。
中津文彦『天明の密偵』(2004年/PHP文芸文庫)は膨大な量の『菅江真澄遊覧記』をもとに彼の前半生を大胆に推理して、その足跡をたどった歴史小説だ。真澄は田沼意次の策謀を探る密命を帯びていたのではないかという仮説はフィクションとわかっていても信憑(しんぴょう)性があり気分はほとんど冒険小説。
そんな遊歴の文人も旅の途中で幾度も雪に行く手を阻まれた。150センチ超の積雪に呆然とする真澄。物語を生む装置としての雪。冬の秋田は美しく、そしてやっぱり侮れない。=朝日新聞2023年2月4日掲載