ISBN: 9784326550890
発売⽇: 2022/12/27
サイズ: 20cm/264,10p
ISBN: 9784326550906
発売⽇: 2022/12/27
サイズ: 20cm/270,14p
「アマルティア・セン回顧録」(上・下) [著]アマルティア・セン
社会にとって何が望ましいか。この問いに答えるのは思いのほか難しい。どう決めるのかという手段の問題もあるが、そもそも決められるのか、という根本的な問題があるからだ。
経済学で社会的選択理論と呼ばれるこの分野で決定的な研究を成し遂げ、1998年にアジア人ではじめてノーベル経済学賞を受賞したのが、本書の著者、アマルティア・センである。今もって、欧米国籍を持たない同賞受賞者は、33年に生まれ、ダッカで育ったこの人だけで、20世紀のアジアを代表する知識人だといって過言ではない。本書は、生い立ちから60年代にいったんデリー大学に戻るまでの前半生を本人が回顧した記録である。かなり時間をかけて書き継がれてきたようだが、コロナ禍の2021年にようやく原著が出版され、さっそく日本語に訳出された。
回顧録と名はつくが、ただ思い出話を書き連ねたものではない。もともとセンといえば、学界では数学を駆使する傑出した理論家という印象が強く、すでに日本語に訳されている著書も難解だ。対して本書は、平易な語り口だけでなく、話題が慎重に選ばれ、それぞれについて後から補足整理されている。いわばセンの知的体験を後追いできるように再構成されており、彼の難解な理論を何となく直感的に共有するのに役立つ。
たとえば、本書の原題はHome in the Worldで、各地を移り住んだ青年期までを象徴する。実際、その遍歴が印象的に描写され、彼の幼少期はタゴールに象徴されるベンガル土着の民俗はじめ、サンスクリットによるインド哲学、数学や医学などの西洋最新科学など、豊かで多様な文化に囲まれていたことを自覚的に綴っている。
実はセンは、私たちは複数のアイデンティティを保持して理性によって使い分けることができると主張しており、本書に記された彼の遍歴(しかも幼児期を除けば本人の能動的な選択の結果)を読めば、この考え方に共感を覚えるだろう。
また、センには潜在能力アプローチの提唱者としての側面もある。すべての人が達成できる基本的な自由が人間にはあるという、超越的で厳かに聞こえる話ではある。しかし、若き日の自分に言わせているベンガル飢饉(ききん)やユーロ統一に対するコメントを読むと、理不尽な死や破壊に直面した人に対する冷静な視線あってこその主張だと納得できる。
回顧録という衣をまとった入門書。センが生涯をかけ追及する「善き生」、その副読本としてぜひ読んでみてほしい。
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Amartya Sen 1933年、当時インドの一部だったダッカ(現在はバングラデシュ)出身。ハーバード大経済学・哲学教授。著書に『自由と経済開発』『議論好きなインド人』『正義のアイデア』など。