一体どこからきたのかわからないが、脳裏に棲みついている住人たちがいる。ピッタピタの競泳水着に身を包み、頭からスーパーのビニール袋をかぶって行進するおばちゃん。モッサモサの犬のリードを握る、パンチパーマの極道さん。そんな知り合いがいたかしら。本当にどこからきたのかわからない。日常のふとした拍子に突然、ボウッと意識に現れては、思い出し笑いを誘発し、かすんで消えていく。
彼らの正体は、リリー・フランキーさんが『美女と野球』で描いた挿絵だった。十数年ぶりに本を開いて「あ、あんたは……!」と衝撃の再会を果たして判った。記憶力があるんだかないんだかわからないが、わたしの脳のシワの奥深くへ大切に刻まれていたのは確かだ。
その昔、我が家の脱衣所には小さな本棚があった。本棚というか、全員分のパンツやババシャツがミッチミチに詰められた抽斗の天板の上で、肩を寄せ合うように何冊かの本が貧相に並んでいるだけのスペース。学級文庫ならぬ、脱衣文庫。
いつ、誰がそんなところに本を置きはじめたのか。家族の誰もが心当たりがないというのが不思議だ。怪奇現象に近い、文明の発芽である。
独立したばかりで東京と大阪を行き交う父、規則正しい生活を心がける母、寝落ちしては明け方に妖怪のごとくズルズルと這い出てきて朝風呂に入るわたし。家族はてんで、すれ違いの生活だった。会話すらできない日も多かった。ところが脱衣文庫によって、同じ本だけは読んでいるという現象が起きた。
その一番人気が『美女と野球』だった。
中学生になったばかりのわたしという娘がいるのに「合コンは生殖活動のイントロ」などという尖った一行がふんだんに散りばめられたこの一冊が、家族公認のもと黙って置かれていたのも、脱衣文庫の自由さである。
風呂に入るときは各自、脱衣文庫を持ち込み、湯船に浸かりながら読む。のぼせるギリギリまで味わい、一枚きりの栞を挟むのだが、ここに明確なルールが存在しないために栞の位置がいつもバラバラに変わっていた。続きから読み進められた試しがない。なんでやねん。とはいえ、ボーッとしながら読んでるので、どこまで読んだかを思い出せない。仕方なく適当に開いて、同じ話を何度も読むことになるから、一向に誰も読了できない。紙は湿気と乾燥を繰り返したガビガビになり、本は元の厚さの二倍ぐらいまで育った。
久しぶりに家族が顔を合わせると、作中に出てきたエピソードや表現をおもむろに真似し、ゲラゲラと笑った。ドリフが放送された翌日の教室のような治安の我が家であった。特に「グエエ……!」は鉄板のネタだった。激流の川をゴムボートで漂流して震えあがったリリーさんを、助けに飛び込んでくれた釣り人のオジサンが溺れかけながら発した叫びである。ただ事ではない焦燥感と悲壮感に、何度思い出してもおかしくなる。夕飯でお茶をむせては「グエエ……!」、眠気でソファからずり落ちては「グエエ……!」のち、ひと笑い。周りから見れば不気味な光景に違いないが、わたしたちはたった一言だけで、その前後に広がる濁流のような物語を共有していた。グエエ……!
こうして潜在意識に刷り込まれているのだから、もはや『美女と野球』はエッセイというより、落語に近い。
それから父は亡くなり、母は大病をして車いす生活になったので、バリアフリー化のために脱衣所は跡形もなく大規模改修された。動線をふさぐ抽斗は廃棄され、脱衣文庫も姿を消した。
今になってようやく、『美女と野球』を最初から最後まで綺麗に読み終えることができるとは。当時は永遠にたどり着けない気がしていたあとがきのページをめくるのは、なんとも感慨深かった。
念願のあとがきには
これを読んで下さった皆様、読みながら、クスッと笑ってくれて、その後は書いてあったことをすっかり忘れてくれたらうれしいです。
と書かれていた。
はからずともうちの一家は、リリーさんが願った通りの楽しみ方をしていたことになる。なんでやねんと思い続けていた読書だったが、あれはあれで楽しかった。わたしにとっての“読書”のド真ん中にある体験なのだ。脱衣文庫をまた作ってみたいし、どこかの実家の脱衣文庫に置かれるような著者にもなってみたい。
そういう忘れかけていた懐かしくてしょっぱい記憶を蘇らせながら書いたエッセイ集が『飽きっぽいから、愛っぽい』だ。ふと『美女と野球』のことを思い出し、編集部に頼みこんで、リリーさんへ原稿を送ってもらった。返事はなかった。会ったことも、喋ったこともないわたしなので、当然といえば当然である。なにかの拍子にどこかで届けばいいなあと空に願っていた、その時だった。
編集部に、一通の手書きの原稿用紙が届いた。
岸田奈美は、運命に愛されている
こんなの受け取っちゃったことが、運命に愛されている証拠じゃないですか。