人間は見慣れる。もしも「新しさ」が「誰も知らないものを出す」だけで生まれるならそれらが真の力を持つのは「初めて見たその時」だけであって、そんなものが本当に「新しさ」と呼べるだろうかと思う。私も「新しさ」がなんなのかなんてわからない。わからないけれど、登場当時「新しさ」として受け止められていたデザインを今、見ることでわかることがある。どんなにその後模倣する作品が頻出し、その「作風」に見慣れても、案外その大元の作品の説得力は変わらないように感じるのだ。見慣れることができない。それはそのデザインが生まれるまでの思考の流れを「見る」ことでは追いきれないからじゃないか、と私は思う。そしてその思考の徹底こそが、もしかしたら「新しさ」の正体なのではと思うのです。
デザインの新しさは、急に何もないところから生まれるというより、無数の過去のデザインやクリエーションの文脈の果てで、次の一歩を踏み出したその瞬間、生まれてくるように思う。ここまで人類が長く作品を作り続けて、ほとんどのパターンは出し切ったかとさえ思える世界で、それでも素晴らしいものを作る人は奇跡の存在のようにも思えるが、ただ限りあるパイを取り合うのが創造なのではなくて、既存のものに対する思考の深さとその精度こそが「新しさ」にすり替わっていっているんじゃないだろうか。見る人が追いきれないもの、でも確かな足取りがあると直感でわかるもの。それらに人は「新しさ」を感じられるし、それは希望そのものだ。千年後でも2千年後でも、きっと人は「新しい作品」を生み出し、出会い続けていける、そんな希望だ。少なくとも奥村さんのデザインを見ていると私はそう思えるのです。=朝日新聞2023年3月18日掲載