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未上夕二さんの偏屈を浄化したドラマ「シャーロック・ホームズの冒険」

©GettyImages

 小学校も高学年になると、ずば抜けた運動音痴は学年中に知れ渡り、放課後、野球やサッカーに誘われることもなくなった自分は、家に帰るとテレビでワイドショーやドラマを見たり、本を読んで寝るまでの時間を過ごした。ところが、そういう楽しみなはずの時間が、自分の面倒な偏屈さに邪魔されることが多々あった。

 時代劇を見ていて、たとえそれが画面に一瞬しか映らない端役であっても、明らかに違和感のあるカツラをつけていたとしたら、なんか嘘っぽいなとドラマ自体に嫌気がさしてチャンネルを変えてしまったり、家族や友人にすすめられた小説でも、「嗚呼」であったり「ゐます」などといった古い表現を目にすると、なんだこれとページを閉じたりしていた。

 駄目と烙印を押した作品の中に、コナン・ドイルの「シャーロック・ホームズ」シリーズの小説があった。ある出版社の本ではホームズの相棒のことを「ワトソン」と書いてあったのに、別の会社では「ワトスン」とある。たったそれだけの言いがかりのような理由で、当時の自分はそのシリーズをいい加減で信用ならないものと決めつけていた。

 NHKでドラマ「シャーロックホームズの冒険」が始まったのは1984年、自分が小学校6年生の頃だ。面白いらしいとは聞いていた。だけど、どうせこれもいい加減に作っているのだろうと、斜に構えてテレビの前に座った。

 わずかな暗転の後、流麗なヴァイオリンの旋律と共に19世紀のロンドンの街の様子が映しだされる。号外を配る新聞売り、ショーウィンドウの前にたむろする子供たち、そして土埃をたてて石畳の道路を駆ける馬車。2階の窓から街の様子を眺めている眼光鋭い痩せぎすの男をカメラは映し、そして本編が始まる。

 あっという間に惹きつけられた。目の前にあるのは本物のロンドンの街並みで、本物のホームズとワトスンが活躍していた。画面のどこを探しても嘘はなかった。登場人物がみな日本語を話していたけれど、それすら本物だと思った。

 創作に携わる人たちの「本気」を感じた初めての経験だったのかもしれない。

 主演のジェレミー・ブレットは、ドラマ制作にかかる製作費の莫大な額を聞き、制作会社の作品に対する期待の大きさを知って恐れをなし、一度は出演を断ったという。

 確かに費用をかければセットなどは豪華で精巧なものになるのだろうけど、お金をかければいいものができるわけではないことは皆さまもご存じのことだろう。

 ホームズのトレードマークといえばパイプに鹿撃ち帽、そしてインバネスコートだ。だが、小説でホームズは帽子とコートを着ていないということから、ドラマでその二つの有名なアイテムが登場することはない。

 これは制作陣のこだわり──愛といってもいいだろう。ドラマにかかわった人たちの、小説のファンが望むホームズの世界を忠実に再現しようとする熱が、自分の些細で愚かな偏屈を浄化した。

 あっと言う間の手の平返しで、その日からずっとホームズの大ファンです。

 これは創作だけの話ではなく、あらゆること──仕事や部活、さらには趣味にもいえることで、その人の本気は必ず誰かに伝わるし、当然のことながら、怠け心も必ずバレる。

 幾度となく自戒しながら、今日もぽちぽちとパソコンのキーボードを叩いている。