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「リップマン 公共哲学」書評 西洋社会の知的伝統に立ち返る

評者: 前田健太郎 / 朝⽇新聞掲載:2023年04月01日
リップマン公共哲学 著者:ウォルター・リップマン 出版社:勁草書房 ジャンル:社会思想・政治思想

ISBN: 9784326154852
発売⽇: 2023/02/24
サイズ: 20cm/221,5p

「リップマン 公共哲学」 [著]ウォルター・リップマン

 ウォルター・リップマンと言えば、20世紀のアメリカを代表するジャーナリストの1人だ。日本では、1922年の『世論』が有名だろう。大衆は、メディアの作り出した疑似環境の中で、自らのステレオタイプに囚(とら)われて生きている。だからこそ、民主主義には世論を正しく導く専門家が必要だ。そう論じたリップマンは、エリート主義者としてのイメージも強い。
 だが、55年に出版された本書を読むと、リップマンはエリートにも深く失望していたことが分かる。議会の政治家たちは世論に訴えるために無責任な公約を乱発し、それに手を縛られた大統領は対外政策で失敗を繰り返す。第1次世界大戦後の国際連盟の試みは挫折し、ナチスの勢力拡大は止まらず、第2次世界大戦後には共産主義が台頭する。
 この危機の原因を、リップマンは公共哲学の衰退に見る。西洋社会には、民主主義が登場する遥(はる)か以前から、私的な利益を一旦(いったん)脇に置き、公共の利益を考える知的伝統があった。それは、ストア哲学からローマ法を経由し、マグナ・カルタやアメリカ独立宣言に至る自然法の思想だ。この伝統が失われ、代わって自己の欲望に従って権力奪取を目指すジャコバン主義が台頭したことが、政治の分断を招いた。それを乗り越えるには、まずエリートが公共哲学に立ち返る必要がある。
 以上の議論は、トランプ現象やウクライナ戦争に揺れる今日の世界への処方箋(せん)として読むこともできよう。だが、巻末の解説で訳者が述べるように、本書の意義はそこにはとどまらない。リップマンは、公共の利益とは何かという政治の根本問題に対して西洋社会の歴史を踏まえた広い視点から取り組んだ。さらに、そもそも公共の利益を論じる際に歴史を踏まえるべき理由についても興味深い考察を行っている。かつて一度は日本語に訳された後、長らく入手が困難だった本書が、新訳と共に甦(よみがえ)ったことを嬉(うれ)しく思う。
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Walter Lippmann 1889年、米ニューヨーク生まれ。ジャーナリスト、政治評論家。著書に『世論』『幻の公衆』など。