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小津安二郎、生誕120年・没後60年 映画に浮かぶ戦争の影・白樺派…評伝で新たな光

映画「宗方姉妹」撮影中の小津安二郎監督(右)=1950年7月

「麦秋」に映る戦争と友への哀惜

 なんとも人を食ったような本が出た。平山周吉「小津安二郎」(新潮社)。「東京物語」で笠智衆が演じた老父の名を筆名に、スクリーン内外の出来事を往還しながら、小津映画に新たな光をあてた評伝だ。

 「小津について書く気があったら、このペンネームにはしてません。今回は担当編集者にうまく乗せられてしまって」。大手出版社の編集者を長く務めた平山さんは、定年後に文筆活動を始める際、「本名は嫌だから」と大好きな小津にちなんだ筆名をつけた。評伝「江藤淳は甦(よみが)える」で小林秀雄賞、「満洲国グランドホテル」で今年の司馬遼太郎賞を受賞している。

 「私が書くのなら映像論というよりも、小津があの時代に何を考えて作品を残したのか、映画を手がかりに昭和の日本人や昭和史を泥臭く考えようと思った」

平山周吉さん

 論考の序盤は「麦秋」から始まる。平山さんが「東京物語」「秋刀魚(さんま)の味」と並ぶ重要作と思う映画だが、ひかれる理由がよくわからない。戦後の小津には珍しい移動撮影の多さ、唐突に会話に出てくる火野葦平(あしへい)の「麦と兵隊」、ラストシーンの麦畑で花嫁行列が進むなかで流れる「海ゆかば」を想起させる音楽……奇妙に感じた点が多かった。

 「画面に偶然を入れることを拒んだ小津ですから、映ったものには意図があるはず」と、田中真澄編「小津安二郎全発言」を始めとする多くの文献をひもときながら、考察を重ねた。

 浮かび上がったのは、画面に残る戦争の影と、小津の哀惜の思いだ。哀惜の念は6歳下の監督、山中貞雄に、とりわけ強い。互いに才能を認め、親しくつきあった2人は相前後して中国戦線に召集され、山中は28歳で戦病死する。

 20作以上を残した山中だが、現在まとまった形で見られるのは「丹下左膳余話 百萬両の壺(つぼ)」「河内山宗俊」「人情紙風船」の3本のみ。そのタイトルが小津映画に不思議な形で登場する。「晩春」で繰り返し登場する壺、「風の中の牝どり(めんどり)」で突然落ちてくる紙風船、「麦秋」でラジオから流れてくる歌舞伎「河内山」。果たして単なる偶然か、亡霊のようにフィルムに刻まれた山中の痕跡をたどる過程がスリリングだ。

白樺派からの影響

 後半は小津と文学、とりわけ白樺派の里見(とん)との関係に紙幅が割かれている。当時の邦画の作り手にとって、谷崎潤一郎や佐藤春夫、白樺派といった大正文学の影響は想像以上に大きかった。

 里見は戦後の「彼岸花」「秋日和」の原作者として映画にクレジットされているが、小津への影響は戦前にさかのぼる。たとえば、1937年の「淑女は何を忘れたか」の山の手のブルジョア夫人たちの奔放な会話は「怠屈(たいくつ)夫人」というマイナーな小説がベースになっているという。

 「この時期の山の手邸宅ものは、小津の内側から出てくる必然性はあまりない。文学から借りてきたものだと思います。一方、中国から帰還して以降の小津映画は戦争を抜きにしてはありえなくなった。山中への追悼の念とともに。多くの無念の受け皿となったからこそ、小津作品は世界中で見続けられるのでしょう」

日記や書簡、愛用品でたどる生涯 横浜で回顧展

小津映画のスチールや資料が並ぶ=横浜・神奈川近代文学館

 横浜市の神奈川近代文学館では「生誕120年 没後60年 小津安二郎展」が5月28日まで開かれている。小津の生涯を映画の関係資料だけではなく、日記や書簡、愛用の品々と共にたどる大規模な回顧展だ。

 東京・深川に生まれた小津は9歳のときに引っ越した三重・松阪で、浴びるように映画を見ていた。日記の巻末にびっしり書かれた地元映画館の上映情報がほほえましい。

 「小津安二郎の戦争」と題したエリアには、33歳で召集された戦地での過酷な体験を生々しく書き残した日記が展示されている。近くには母・あさゑが戦地に送った手紙も。戦前に3年連続で「キネマ旬報ベスト・テン」1位に輝いた小津はすでに名士だった。消息が新聞で伝えられることも多く、それを見た母は「大井に気分がおちつ居ました 夜分もねむれる様になりました」(原文ママ)としたためている。母思いの小津はあさゑを亡くした翌63年、闘病の末、60年の生涯を閉じた。

 中公文庫からは小津映画の原作となった小説が2カ月連続で復刊されている。大佛(おさらぎ)次郎「宗方姉妹(きょうだい)」は試写を見た大佛が映画と小説の違いについてつづったエッセーを併載。また、今月刊行の里見とん「彼岸花/秋日和」は里見の小津への弔辞や追想エッセーも収録している。(野波健祐)=朝日新聞2023年4月19日掲載