ISBN: 9784582207293
発売⽇: 2023/02/10
サイズ: 22cm/429p
ISBN: 9784815811105
発売⽇: 2023/02/03
サイズ: 22cm/351,91p
「日本人美術家のパリ 1878-1942」 [著]和田博文/「共和国の美術」 藤原貞朗
明治に入り文明の近代化が急がれると、日本人の美術家たちは競ってパリを目指した。「巴里(パリ)は世界の凡(あら)ゆる美術家にとつて必ず一度は訪れなければならない芸術の首都」だった。なかでもラファエル・コランに学び後の洋画界に君臨した黒田清輝の名はひときわ高い。もっとも、特定の美術家のパリ体験については、これまでに多くの研究や展覧会がなされてきた。和田の著作はそれらと違い「日本人美術家の総体」がどのようなものであったかについて、膨大な資料を読み解いて一冊にまとめる。だが、読み解くだけではない。著者はかつておのおのの画家が暮らした住所が見つかると、実際にその場所を訪ねている。文献の渉猟に留(とど)まらない生き生きとした肉付けがある。
さらに、多くの美術家はパリを起点にしつつ実に広くヨーロッパを巡っていた。パリはまぎれもなく「芸術の首都」であったけれども、ローマやフィレンツェは芸術の首都であるどころか、街そのものが芸術の規範なのであった。この時代の日本人の美術家がルーブル美術館で名画の模写に励んだのはよく知られているが、イタリアやスペインを旅してより根源的な衝撃を受けたのも彼らの実像であった。それが手に取るようにわかるのも本書の魅力だ。
他方、藤原の著作は同じ時代にフランスで美術をめぐってどのような動きがあったかについて別の視点から詳細に論ずる。確かにパリに立派な美術館はある。だが、人間を謳歌(おうか)するルネサンスの芸術を生み出したのはレオナルドであり、ミケランジェロであった。スペインにはゴヤ、ベラスケスがいる。オランダにはレンブラント、フェルメールがいる。フランスはどうしても見劣りがせざるをえない。真っ先に名が挙がるのは、かつてそのような古典的な規範から「落選」した19世紀のマネやその後の印象派の画家たちだ。
しかし、そこにこそ逆転の余地がある。フランスに他国を凌駕(りょうが)する美術史のしつらえを与えたのは、1920~30年代の共和国下で新たな美術の管理者となった「学芸員(コンセルヴァトゥール)」たちであった。かれら美術の「保守派(コンセルヴァトゥール)」は「自国の美術を顕彰」することで、フランス中心の「ナショナルな美術」を、直近の19世紀を頼りに大胆に編纂(へんさん)し直してみせた。先進的な美術を求めて海を渡りようやくパリにたどり着いた日本人の画家たちには、知るよしもなかったことだろう。
だが、もしかしたらそれは、国と文化とを問わず、やがてかれらがもれなく巻き込まれることになる戦争の最初の兆しだったかもしれない。
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わだ・ひろふみ 1954年生まれ。東京女子大特任教授。著書に『三越 誕生!』『海の上の世界地図』など▽ふじはら・さだお 1967年生まれ。茨城大教授。『オリエンタリストの憂鬱』でサントリー学芸賞など受賞。