「影の王」書評 冷徹にして叙情豊かな人間讃歌
ISBN: 9784152102102
発売⽇: 2023/02/21
サイズ: 19cm/572p
「影の王」 [著]マアザ・メンギステ
時は1935年、エチオピア。紀元前より他国の支配を拒み続けてきたこの国に、イタリア首相・ムッソリーニは侵略を仕掛ける。本作は第2次エチオピア戦争と呼ばれるこの戦争を背景に、混乱のただ中に錯綜(さくそう)する数多(あまた)の生と死を冷徹に――しかし叙情豊かに織りなした歴史小説である。
周囲から搾取され続けてきた孤児の少女・ヒルト。ヒルトと共にエチオピア王の影武者を護衛する貴族の妻・アステル、2人を様々な形で虐げるアステルの夫・キダネ。故国防衛という共通目的を持ちつつも、彼らの関係は身分差や性差によって歪(ゆが)められ、マグマにも似た激情を糧にぶつかり合う。また侵略者の一員として戦場を訪れる写真家、イタリア軍将軍とその愛人、彼らに雇われる料理人など、個々に憂憤を抱えた登場人物たちの姿はみな痛々しく、それゆえ時に読み手を怯(ひる)ませるほどの喜怒哀楽を剝(む)き出しにする。
「合唱」として挿入される情景や心情、「写真」の乾いた描写といった特徴的な構造が、物語を多角的に彩る。ヴェルディのオペラ「アイーダ」の響き、早逝(そうせい)した王女の幻影、何者でもない「影の王」など、歴史と時間の渦にのみ込まれた数々までをも描く筆致は乾き、だからこそ長きに亘(わた)って伝えられた叙事詩にも似た眩(まばゆ)い光を放つ。
とはいえ同胞同士の信頼や敵味方を越えた友情、はたまた劇的な救出などのヒロイックな感動はここにはない。ヒルトとアステルを結ぶ感情は屈折的で、料理人は捕虜の安らかな死のために奔走する。女たちは犯され、亡命者たる王は故国から切り離されて孤独に苛(さいな)まれる。描かれるのは泥濘(でいねい)を思わせる混沌(こんとん)と悲劇であり、それでもなお足掻(あが)き続ける血まみれの生、そして倒れていった無数の人々への大いなる讃歌(さんか)だ。
歴史と人間の難解さを直視し、膨大な取材をもとに、確かに生きた者たちの軌跡を漏らさず描かんとした圧倒的な物語である。
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Maaza Mengiste 1971年、エチオピア生まれ。作家。7歳で単身渡米。2作目の本書はブッカー賞最終候補に。