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大久保健晴さん「今を生きる思想 福沢諭吉 最後の蘭学者」インタビュー 西洋と格闘、深さの源流

大久保健晴さん

 ペリー来航から6年がたった安政6(1859)年。福沢諭吉は横浜の外国人居留地を訪ねたが、それまで学んできたオランダ語は役に立たず、英学に取り組むことになる。
 「でも、福沢は蘭学(らんがく)を捨てて英学へ移ったのではありません。西洋学術を学ぶ言語を英語にしたのです。自分の学問の源流は蘭学だと、最晩年まで繰り返し述べています」
 蘭学修業時代に学んだ、物事の道理や法則を明らかにする物理学と、兵制と国政は連動すると説く兵学。そこから福沢は「文明」と「独立」の構想を導き出した、とみる。
 専攻は日本政治思想史。徳川末期にオランダへ留学した西周や津田真道らをテーマに研究を始めた。彼らがライデン大学教授のフィッセリングから学んだ法学や統計学が、明治国家の建設に与えた影響を、現地の一次史料も踏まえて明らかにした。
 「図書館でカードをめくり、講義ノートや著作をコピーしました。すごい量ですが、読むことに研究者としての使命感のようなものを覚えました」。それを著書『近代日本の政治構想とオランダ』にまとめた。非西洋圏から見たオランダが描かれているとも評価され、英訳が出た。

 こうした世界史の広がりの中で見ると、西洋思想との格闘の深さや、時代診断の鋭さで際立っているのが福沢だった。なぜか。蘭学の蓄積があったからではないか。「そうして福沢と再会し、『最後の蘭学者』という一言にたどり着いたのです」
 日本文明に対する福沢の独自のとらえ方が「脱亜論」を生んだ点も、慎重におさえている。他方、情報の氾濫(はんらん)で人々が感情に動かされ、社会が分断される文明の影を描いた、今に通ずる洞察もあるという。
 「歴史上の人物と閉じ込めずに、ハッとするような福沢の文章を読んでいただければと思います」
 (文・石田祐樹 写真・倉田貴志)=朝日新聞2023年4月22日掲載