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樋口恭介さん注目のSF3冊 「意味」の呪縛、快楽と恐怖と

  • ホワイトノイズ
  • ガーンズバック変換
  • 令和その他のレイワにおける健全な反逆に関する架空六法

 絶版となっていたドン・デリーロ『ホワイトノイズ』が新訳で刊行された。環境破壊、陰謀論、ドラッグ、テロリズム、コミュニケーションの不一致、想像可能なあらゆる不和が、目には見えないウイルスのように不穏に漂い続ける本作だが、実際に読み始めるとそこにあるのは明確な主題などでは決してなく、意味から逃れるように連綿と積み上げられ続ける細密描写のカオスであると、あなたはすぐに気づくだろう。本作において読者はつねに、カオスに飛び込むことを余儀なくされ、流れの中で生まれると同時に消えていく、微(かす)かだが確かにその瞬間には存在した、陽炎(かげろう)のような意味を、つねに摑(つか)み、摑み損ね続ける。けれどもそこには何かが残る。何もなかったわけではない。そもそも物語を読むということは、そういうことなのだ。

 生は一つの意味に圧縮されず、生に評価を与えることはできない。構文的には正しいが無意味な文としてノーム・チョムスキーが示した有名な例に「色のない緑の考えは猛烈に眠る」というものがある。陸秋槎(りくしゅうさ)『ガーンズバック変換』所収の短編「色のない緑」は文字通り「色のない緑」を主題とするが、それもまた単なる主題にとどまらず、一つの実在性を伴う描写として世界を生成する。一人の女性研究者の死の謎を起点として展開される本作は、本来緑色であるはずの液体記憶媒体という技術の本来想定されない側面に焦点を当てることで、意味と無意味の関係を反転させる。AIがテキストを解釈し、近似する何らかの仮想世界を構築する舞台の上で、人は自分の経験や思い出やそれらに纏(まつ)わる私的な印象を、どのようにして既知の意味に回収されないよう抗(あらが)うのか。そうした問いに対して生と死の固有性を奪還する過程を描くことで答える本作は、優れた現代SFであると同時に優れた現代ミステリにもなっている。

 SFとミステリの新たな邂逅(かいこう)という点では、新川帆立(ほたて)『令和その他のレイワにおける健全な反逆に関する架空六法』所収の「接待麻雀(マージャン)士」にも注目したい。接待麻雀が合法化された世界で、接待麻雀を生業とする元プロ雀士の一日を描いた本作では、物語が進むに従い「接待」という語彙(ごい)が孕(はら)む意味や位相が変転する。本当の接待をしているのは誰であり、そこでの接待はどのようなものなのか。ゲームのルールは変わり続け、目的関数は変わり続ける。そうしてあなたは手に汗を握りながらページをめくり続け、終わりにさしかかった頃にふと、異常なほどに読みやすく面白く書かれた本作もまた、実のところ一つの接待なのだと気づくだろう。内部と外部は繫(つな)がっていると気づくだろう。そして最後に、あなたは意味という呪縛の快楽と恐怖に気づくだろう。=朝日新聞2023年4月26日掲載