1. HOME
  2. コラム
  3. 信と疑のあいだ コロナ後の世界を探る
  4. 公園で夢中になった「ショーバイ」 青来有一

公園で夢中になった「ショーバイ」 青来有一

イラスト・竹田明日香

 花びらや貝殻、雲や銀河の渦……、ビー玉をのぞきこみ、あれこれ想像をふくらませた経験はだれもあるでしょう。光に透かしたら無数の気泡が輝いて、まさに小宇宙、見飽きることがありませんでした。

 子どもの頃、地面に描いた枠の中で互いにはじき合って遊びました。勝ったら相手のビー玉をもらい、負けたらとられる。だれかひとりが大勝することはなく、友だち同士でビー玉を交換しているといった感じの、のどかな交流のゲームでした。

 今から半世紀以上前、昭和40年代のことです。当時、学童保育はなく、放課後や休日、子どもたちは隣近所や学校の友だち同士で集まり、公園でよく遊んでいました。ボール遊びやなわとび、男の子にはビー玉も人気がありました。

 遊具はブランコ、すべり台などシンプルで、他にクリーム色のカップのかたちをしたコンクリート製ベンチが三つありました。出入り口がU字にカットされ、友だちと座って話をするにはちょうどいいスペースです。

 ある日、そのベンチでひとりの小学生が「ショーバイ」を始め、なれなれしく声をかけてきました。どこのだれか名前も知りません。U字の出入り口からビー玉をはじいて、反対側のカップの内側に当て、跳ね返って転がった玉が、カップの底の排水の穴から出てきたら5個くれると彼は言うのです。

 ゲームというよりも素朴なギャンブルでしたが、正確に狙ってはじく技能が必要でかなり難しく、それだけに排水の穴からビー玉が足先に転がり出てくるのはちょっとした快感で、男の子たちは夢中になって何度も挑戦して列をなしました。

 他のカップも別の子どもが占有し、そのうちにすべり台の下にビー玉をならべ、上から転がして当たったら3個くれるとか、空き缶に放りなげて入れたら3個とか、公園の思いおもいの場所で、技能などいらない運試しのショーバイも現れ、公園全体がカジノ化し、子どもたちが客となってあちらこちらを巡るようになりました。

 自分でもなにかショーバイができないかと考えて思いついたのがパチンコ、安易なまさにギャンブルの発想です。弟とふたり厚い板に斜めに定規でマス目状の線を引いて交点に釘を打ち、釘を密にしたポケットをつくり、マジックで5とか3など数字を書きこみました。そのポケットに入ったらもらえる数で、最も難しいポケットに大胆にも10と書きました。

 翌日、砂場のふちを利用して大きな竹カゴを下に置き、ゆるやかな傾斜をつけてパチンコ台を据えつけたら、これがもう大当たり。女の子や幼い子どもたちもやってきて、ビー玉はじゃらじゃらとたまり、底が抜けそうなほど重いカゴを抱えて帰って、親から不審がられました。

 駄菓子屋のおじいさんが、ビー玉ばかりが売れると驚いていたそうで、子どもたちはキャラメルなどに使うお金をそれに使ったのかもしれません。欲望をかき立てられた子どもたちによって、多額の小遣い資金がビー玉のカジノ市場に投入された異様な状況だったのでしょう。

 「儲ける」ということがどれほどぞくぞくすることか、その興奮と快感をあのとき知りましたが、欲望がビー玉をガラス玉に変えたことには気がつきませんでした。

 ブームは数日で去り、ある朝、パチンコ台は釘だらけの板きれに変わり、公園はいつもの公園にもどり、ショーバイをしている子どももいなくなりました。小学生の頃、同じ現象が二、三度起きたような気がします。あれはなんだったのか、他の地域でも起きたことなのか、なにもわかりません。

 大量のビー玉はカゴに山盛りのまま縁の下に放置され、今はもう夢の残骸のように記憶の中で輝くばかりになりました。=朝日新聞2023年4月3日掲載