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岸田奈美さん「飽きっぽいから、愛っぽい」インタビュー 忘れかけた記憶、書くことで優しさに気づいた

岸田奈美さん=家老芳美撮影

横書きとは文章の呼吸が違った

――『飽きっぽいから、愛っぽい』は「小説現代」での連載エッセイをまとめたものです。文芸誌での連載ということで岸田さんの中でも気合いが入っていたようですが、オファーが来たときはどんな気持ちでしたか。

 うれしかったですね。どこまでいってもブロガーだと思っていたし、依頼が来たときはまだ本を一冊も出していなかったので、見つけていただいてすごくうれしかった。noteやTwitterって、残るものというよりは読み流す文化なんですよね。過去の記事や投稿を読もうとすると結構遡らないといけない。私が書いていることは読み流すものじゃなくて残していくものなんだよって言ってもらえた気がして、すごく自信がつきました。

 それで浮き足立って、いつも以上に頑張ろうと書き始めたんです。でも、縦書きで書くことは初めてで、横書きで書くこととは文章の呼吸が全く違っていました。横書きのブログでは、詳しいことを書かなくても3、4行の行間を空けておけば、読み手が頭の中で「ここは場面転換」「ここはツッコミ」と補完してくれるんですけど、縦書きの文章ではそんなに行間を空ける技が使えない。

 連載では自分の人生を時系列に振り返りながら綴っていく予定だったんですけど、隙間なく文章を埋めていくと、5回で過去が現実に追いついちゃったんですよ。私の人生って紆余曲折あったと思っていたけど、こうやって行間がない文章にするとあっという間に埋まってしまうんだと、びっくりして落ち込みました。ネタ切れで、もう連載を続けられないと思ったんです。

――それをどうやって乗り越えて、こうして一冊の本にできたんでしょうか。

 連載をやめる前提で担当編集者と話をしたら、私の中にある、「起承転結もオチもない、意味もよくわからない思い出や記憶を、今こそ書くべきなんじゃないか」という話になったんです。

 それまで私が書いてきたエッセイは「すべらない話」みたいなもので、自分の中でも面白い話だってわかっているし、読んだ人を笑わせるためのパッケージとして完成されたものでした。そういう話がネタ切れになってしまったのなら、面白い話になるかはわからなくても、私の中に確かに残っている景色や言葉を書いてみればいいと言われました。

 忘れっぽくて飽きっぽい私の心に残っているということは、何かしら心の動きがあったはずだから、それを書きながら考えていけばいい、と。そう言われなければ書くことができなかったことなので、今思うとすごくありがたかったです。

――今回のエッセイは、「筆を伸ばす、私を思う@西宮浜」や「カニサボテンの家を売る@大阪市中央区谷町」など、場所と記憶が繋がるようなタイトルが各編についています。人生を時系列に振り返る形から、この形に落ち着いたのはどういう経緯だったんでしょう?

 何か書き口を決めなくてはと考えたら、場所ぐらいしか書けるフックがなかったんです。西宮浜やカニサボテンがある大阪・谷町など場所を決めて、ぼんやりした風景を「これで書くぞ!」って腹をくくってから書き始めました。別にその場所がすごく美しいわけでもないし、その場所をみんなに伝えたいわけでもないんです。焚き火を起こすと、人が集まってきて勝手に喋り始めますよね。いわば、場所は焚き火の役割なんですよ。

私の人生が立体的になった

――本作では本当に「書く」ことと向き合っていますよね。「書く」ことに対する考えに何か変化はありましたか。

 この連載を始める前は、自分を笑わせたい気持ちが強かった気がします。面白い話をしている自分が好きで、私の話を面白いと思ってもらえることもうれしくて、暗い話や悲しい話も全部ひっくるめて、自分の中で笑える複雑な面白さを書いていました。だけど、今回のエッセイでは、書くことによってそのとき自分が思っていたことや、受け取れなかった人の優しさに改めて気づくことができました。

 私は忘れる才能にすごく恵まれているんですよ。今回のエッセイを書くことは、忘れちゃったことの中でも自分にとってこの先の人生でお守りのようになるであろうことをすくい上げてきた感じ。でも、見たくなかった自分がズルズルと引き出されて、その分、しんどかったですけど。

 本当にどこでしゃべるか、書くかって大事なんですよね。エッセイにも書きましたけど、母がちょっとグレていた高校生の私と唯一コミュニケーションをとることができた場所は「車の中」だったと言っていたんです。私がいちばん心を落ち着けて安全に喋ることができた場所をいろいろと模索してくれていたんですね。その話を聞いて、語る場所の大切さを知りました。目を背けたいような自分の話は、無料で誰でも読めるような場では書けなかったと思います。

――以前のインタビューで、家族のことを書くことについて「嘘と記憶の違いというのがわかんなくなっちゃった」と話していました。今でもそうした葛藤はありますか。

 ありますね。私の記憶だけだと断片的なことや景色しか覚えていないので、エッセイを書く際には母などに話を聞きながら前後のつじつまが合うように書いていて、それが上手くいくときもあれば、感情を作りにいってしまっているのか「何か違うな」というときもあるんです。でも、人の記憶って本当に曖昧で、同じ出来事でも覚えているところ、見ているところが人によって全然違うんですよ。

 自分の記憶と他の人の記憶で答え合わせをして「ああ、そうだったんだ」ということは家族のことを書いた1作目からあって、今回の本では親戚のことも書いたので親戚の記憶とも答え合わせすることになりました。私の人生はまっすぐな道のつもりだったんですけど、親戚から見たら「けもの道」だったり、母からしたら海の中を進んでいるように見えたり(笑)。親戚にまで読ませるつもりはなかったんですけど、どこからか知って読んだらしくて、芋づる式にいろんな人が覚えていたことが私のもとにやってきて、登場人物たちからの話で自分の人生がすごく立体的になりました。こうしてうろ覚えでも書くことによって私の記憶を補完してくれる人たちがいっぱいいること、外付けハードディスクがたくさんあるんだなということに気づけてよかったなと思います。

 それと今回は「小説現代」での連載エッセイだったので、毎回校閲が入ったことがすごくよかったんです。私の思い込みを講談社の校閲さんが全て調べて指摘してくれて、しかも修正するかは選ばせてくれる。家族や親戚にしろ、校閲さんにしろ、私が曖昧な記憶をそのまま雑に文章にしても、その雑さを受け入れてくれる人がいるというのは自信になりました。「大雑把」や「雑」って言われるのはどこか恥ずかしいことだと思っていたんですけど、それを受け入れてくれる人たちがいるということは自分の大事な宝物なんだなと思えたし、自分を愛せる方法をまた一つ見つけた気がしました。自分の心を小さく分けて依存先を増やすような、そういう感じがありました。

次は漫画! 常に新しいことを

――今、「書く」こと以外でハマっていることは?

 自分のエッセイの漫画を描いています。でも、お作法を何も知らないので、見よう見まねで、まずはネームを描いていて。日曜夕方6時台のファミリーアニメを狙って、「ドラえもん」と「ちびまる子ちゃん」と「あたしンち」と「クレヨンしんちゃん」を“令和状”にこねて作ったら何か出来上がるじゃないかと思ったんですけど、描いてみたらすごく難しい(苦笑)。

――なぜ漫画を描こうと?

 常に何か新しいことをやりたいんです。1作目の『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』がドラマ化されるにあたって取材や執筆が相次いで、忙しい日々が続いていました。そんなときに夜中にずっと「ドラえもん」のDVDを見ていて、「ああ、こういうことを言わなきゃな、伝えなきゃな」と思ったんですよね。

 大人になると希望や理想をストレートに語るとちょっとカッコ悪い感じがあるけど、ドラえもんが言っているとなんだか説得力もあるし、頑張ろうって思える。エッセイだとどうしもカッコつけちゃったり何か面白いオチをつけたりしちゃうので、漫画を描いてみようと。私は文章も本も好きだけど、漫画だったら文字ばかりの本が読みづらい子どもたちにも何か届けられるんじゃないかと思うんですよね。

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