架空の神山藩を舞台にした時代小説「黛家(まゆずみけ)の兄弟」で昨年の山本周五郎賞を受けた作家、砂原浩太朗さんの新シリーズが開幕した。「藩邸差配役日日控(にちにちひかえ)」(文芸春秋)は、藩邸のもめ事が次々と持ち込まれる役職の日常を描いた全5編の連作短編集。洗練された筆致のなかに、作者の労働観がにじみでている。
差配役は藩邸における何でも屋で会社の総務にあたる。といえばもっともらしいが、実は架空の役職だ。
「出版社に勤めていたころ、総務には本当にお世話になって。藩邸にあんな役職があったら、いろんな階層の人々と関わるわけだからドラマは尽きないはず、と前から思っていました」
主人公は神宮寺藩の江戸藩邸で差配役を務める里村。ある日、桜見物に出かけた10歳の若君・亀千代が行方不明になる。お家の一大事とばかりに捜索に向かおうとする里村だが、家老からは〈むりに見つけずともよいぞ〉との言葉を投げかけられて……。
差配役には日々、大小様々な難題が降りかかる。御用商人の入札に関する疑惑、藩邸に雇われた婀娜(あだ)っぽい女中を巡る騒動、とりわけ印象に残るのは第4話「猫不知」だ。正室の愛猫がいなくなり、里村たちは猛暑のなかをかけずり回る。その渦中、うんざりした若侍が里村に言うのだ。
〈猫を探しまわるためにお扶持(ふち)をいただいておるわけではございますまい〉。対して里村は〈勤めというのは、おしなべて誰かが喜ぶようにできておる〉
「僕自身の思いを言わせているんですが、仕事って誰かのために何かをして対価をもらう。理不尽なことが多くて、ストレスもたまるけど、もしかしたら誰かが喜んでるかもしれないと思うだけで、少しは慰めになるのかなと」
難題をめぐるどたばたな日々を、季節の移り変わりと共に活写する筆さばきは、どこか古き良き捕物帖の味わいがある。一つひとつの事件が解決していく裏では、大きな謎が少しずつ進行しており、最後にどんでん返しが待っている。
「読書歴の源流にミステリーがあるせいか、ついついミステリー的な味付けをする癖があって。娯楽的でありながら人生の奥行きのようなものがある小説を書きたいと常に思っているのですが、謎を追いかけるという娯楽的な要素は、僕の嗜好(しこう)に合ってるんですね」
謎の解決に大きな役割を果たすのが、冒頭で行方不明になる亀千代。実は陰の主人公ともいえる。
「僕はビルドゥングスロマンの信奉者で、どの作品でも〈成長〉を意識しています。この作品でそれを担うのが亀千代。亀千代がホームズで、里村がワトソンかもしれない。そんなバディものとして楽しんでいただいてもいいかもしれませんね」(野波健祐)=朝日新聞2023年5月31日掲載