「棕櫚を燃やす」書評 娘と病父「あまさず暮らす」日々

ISBN: 9784480805119
発売⽇: 2023/03/20
サイズ: 20cm/157p
「棕櫚を燃やす」 [著]野々井透
2020年春以降、押し売りのごとく、心に踏み込んでくる言葉があった。それが「大切な命」である。
この言葉を掲げる人たちは、自分こそが命を大切にする方法を知っていると言わんばかりであった。
たくさんの数字・専門用語をちりばめ、「外出をするな」「会食をするな」「あなたの無自覚な行動が大切な誰かの命を奪う」と義憤に燃えていた。
周りには、それに拍手を送り、嬉々(きき)としてその言葉を拡散する人たちがいた。
でも私は、かれらに全く共感できなかった。人が命を全うするとはどういうことか、という繊細で複雑な問いと向き合った痕跡を、かれらの言葉に感じとることが一切できなかったからである。だから私は本書に救われた。
物語では、父が重い病気に罹(かか)ったこと、ひどい副作用のある薬を飲み続けていること、でも病状は悪化し続けていること、余命1年であることが仄(ほの)めかされる。
でも具体的な病名は一切記されないし、「医師」という言葉すら登場しない。命のこと、病気のことを描きながら、「医療」と「専門家」から徹底的に距離をとる。それが本書だ。
だからこそ、あえて文脈から外し、割り込ませたようにみえる「二〇一九年の大(おお)晦日(みそか)」の一節に、その後の社会への抵抗を感じとってしまう。
父と暮らす2人の娘は、「大切なお父さんの命」などとは一度も言わない。
代わりに2人は、父と「あまさず暮らす」ことを誓う。でも「あまさず暮らす」ことがどういうことかわからず、娘の一人である春野はもがき続ける。
3人の暮らしを描く言葉たちにふれると、繊細に、あきらめず、じっくりと筆を運ぶ著者の姿が透けて見えるかのようだ。
ああ、命を大切にするってこんなにも荘厳で、静かで、重い営みなんだ。
そう魂に届いてしまう1冊である。
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ののい・とう 1979年生まれ。本書の表題作は第38回太宰治賞受賞作。本書は第36回三島由紀夫賞候補。