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鈴木聖子さん「掬われる声、語られる芸」インタビュー 小沢昭一「ドキュメント 日本の放浪芸」に衝撃、無形文化財の伝え方考える

鈴木聖子さん

 雅楽について博士論文を書き上げた2014年ごろ。俳優の故・小沢昭一の仕事に、初めて出会った。

 「もちろん知ってはいましたが、古き良きものを残したい人という印象で、実はちょっと苦手でした」

 だが、小沢が1970年代に各地の万歳(まんざい)、香具師(やし)、節談(ふしだん)説教などを訪ねて録音した、LP22枚組みの「ドキュメント 日本の放浪芸」シリーズを聞き、文章を読んで、驚いた。

 これらは〈世のみなさんの捨てた芸であります〉。そのまま演じても〈捨てた世のみなさんに逆らうことになる〉と、小沢は書いていた。

 「私は、伝統音楽や伝統芸能など無形文化財の保護を考えていたので、激しく揺さぶられました」

 雅楽演奏者を経て、東京大大学院で文化資源学を学ぶ。12年間滞在したフランスから20年に帰国し、大阪大へ。小沢を本格的に調べ始めた。

 資料を読み込み、「日本の放浪芸」のプロデューサー市川捷護(かつもり)さんらに話を聞いた。これは、滅びゆく「放浪芸」の記録であるとともに、西洋モデルの新劇俳優・小沢が、自らのよりどころを探る「惑い」の記録だと気づく。小沢は日本の伝統を受け継ぐだけではない独自の芸をつくり、〈なにものかに尽くし切る〉ストリッパーの一条さゆりにふれて自身の芸能論を完成させた、と見る。

 「芸能がお金にならなくてどうすると、小沢さんは言っていました。無形文化財保護制度は、お金にならないものをお金をかけて残そうという考え方です。国が守ってくれるから自分で残そうと思わなくなった。小沢さんの仕事を振り返ることで、新しい文化財の伝え方を目指してはどうか、と言いたかったのです」

 かつて小沢は〈素顔を他人に見られたくない〉と話していた。「エロ事師」などのイメージで隠されていたまっすぐな姿が、没後10年を経て描かれた。(文・石田祐樹 写真・TOMOE氏)=朝日新聞2023年7月15日掲載