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「いまだ人生を語らず」書評 老いとは何か 探る言葉の数々

評者: 有田哲文 / 朝⽇新聞掲載:2023年07月22日
いまだ人生を語らず 著者:四方田 犬彦 出版社:白水社 ジャンル:エッセイ

ISBN: 9784560093566
発売⽇: 2023/06/13
サイズ: 20cm/302p

「いまだ人生を語らず」 [著]四方田犬彦

 エッセー集の初めのほうにあるのが「忘却について」である。これからさらに年齢を重ね、記憶が薄れる、失われていくとすれば、どんな感覚だろう。70歳の著者は想像してみる。不幸なことだろうか。しかし、もしもビートルズの曲の記憶が、自分のなかからすべて消えてしまったら。
 初めてラジオで彼らの新曲、たとえば「ヘイ・ジュード」を耳にしたときの新鮮な感動。それをふたたび自分のものにできるかもしれない。認知機能の衰えをそんなふうに考えることができるとは。読みながら、少し心が軽くなった。
 収められたエッセーを貫くテーマは「老い」である。たくさんの本を読み、書き続けてきた著述家が老年とは何かをこの手でつかもうとしている。たとえば読書。すぐれた書物は、手に取るたびに違った顔を見せる。読み手の人生が変化するからだ。ここまでは多くの人が語ることだ。
 著者はもう一歩踏み込む。〈老人はもはや書物を読んでいるのではない。老人はあまりにも多くの記憶のおかげで、書物をいつしか自分の人生の隠喩に作り直してしまう〉。体験や記憶と、書物が混濁する。そこには甘美さもありそうな。
 書店に年齢を冠した本が増えた。「60歳までの○○」「80歳からの××」。老年とは何かがわからぬまま老年が近づいてくるから指針がほしくなる。本書は指針など与えない。その代わり、どきりとする言葉の数々がある。急に病を得たときの感じはこうだ。〈歯が痛い。指が痛い。尿が出ない。わたしとは歯そのもの、指そのもの、膀胱(ぼうこう)そのものと化してしまった〉。それまで歯も膀胱も無視して生きてきたのに。
 ところで著者は嫌いなものとして、まずコンビニの食べ物、ついでフォークソングをあげる。しかしこの書名は、吉田拓郎の名曲へのオマージュではないのか。フォーク好きとしてはそうあってほしいと思うのだが、いかがだろう。
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よもた・いぬひこ 1953年生まれ。映画、文学、演劇など著作は多分野にわたる。近著に『大泉黒石』など。