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高橋秀実「おやじはニーチェ 認知症の父と過ごした436日」 愛しているからこその復讐

 息子による父親の認知症介護の記録と思い読み進めると痛い目に遭ってしまった。この本は認知症を通した哲学論であり、日本語論であったのだ。

 認知症介護の記録であれば、それを生業として20年を過ごしてきた自分にとって既知のものであり、気楽に読み進められる。事実第1章では、認知症の診断基準や認知症患者の特徴が並び一気に読み進めた。しかし、次章から始まる著者による認知症の哲学的な解釈の数々にいちいち立ち止まり、「現場」を知るが故に、自分の認知症への理解を疑ってしまうのだった。さらに「もの」や「こと」、「ある」、「こそあど」などの日本語と認知症との関係論まで始まると、ケアマネジャーとして作成した「介護を言葉にしたもの」であるケアプランに綴(つづ)られた言葉に自信が持てなくなり、それまで苦もなく口から出てきていた援助対象者やその家族へかける言葉までうまく出てこなくなってしまったのだ。

 そんな後悔にも似た気持ちを持ちつつ読み進めると、今度は著者の妻を通し「介護は愛であり、残忍な復讐(ふくしゅう)」といい、家父長制とともに「愛」で認知症を語るのだった。

 著者の妻は「愛」があるが故に「ダメなことはダメと言うべき」であり「なんでもかんでも肯定するのは失礼」と言い、「『失敗してしまった』と思わせない配慮」を「介護者の自己満足」と否定する。さらには「認知症」という行政用語により社会問題にするのではなく、「ボケてるだけ」と愛の宣言をし、義父と向き合う。こうなると「家族」ではなく「労働者」として、「愛」からではなく対価を得るために介護を行い自己満足し、「認知症」という社会問題を解消しようとする自分に嫌気がさしてしまうのだった。

 本の最後は看取(みと)りであったがそこで私は気づいた。親を看取った家族に対し「お疲れ様でした」と声をかけているが、それは復讐を成し遂げたことに対する労(ねぎら)いの言葉だったのだと。=朝日新聞2023年7月22日掲載

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 新潮社・1815円=4刷1万部。1月刊。「ノンフィクション作家のユニークな体験エッセーという枠を超え認知症とケアに新たな気づきを与える本としても支持されている」と担当者。