米国が第1次大戦に参戦した1917年、「民主主義の戦争」支持へと雪崩を打った知識人たちを、評論家ランドルフ・ボーンは次のように批判した。2年半余りの中立の間、彼らは平和や民主主義的世界の構想を描けずにきた。それなのに、暴力や恐怖が支配する戦争に加われば、理想が実現するというのであろうか。しかし、世論が彼の話に耳を傾けることはなかった。
戦争の最中に非軍事による平和を擁護するのは難しい。それは、ウクライナ戦争を見ても明らかである。欧米諸国や日本にとって、これは正邪が明確な戦いである。ロシアの侵略は国際法違反であり、戦争犯罪の報道も数知れない。暴挙の再発を防ぐためにも、ロシアの敗北は不可欠である。北大西洋条約機構(NATO)諸国のウクライナ軍事支援や日本の軍事費急増は、正義とリアリズム双方の要請だといった議論が優位に立つ。
もはや非軍事的平和主義は時代遅れなのだろうか? 憲法9条は破棄すべきなのか? そもそもリアリズムは非軍事による平和と両立しえないのか?
両雄の言に学ぶ
否、と答えるのがリアリズムの両雄であることを、木庭顕編訳『トゥーキュディデースとホッブズ』は教えてくれる。収録された諸論文は、それぞれペロポネソス戦争とイングランド内戦とに対峙(たいじ)した2人の思想的連関を、「怖(おそ)れ」という情念を鍵として分析し、リアリズムに潜む平和への希求を描き出す。著者らによれば、トゥーキュディデースは『歴史』の中で、「怖れ」の実効化を図るアテナイがスパルタの「怖れ」を刺激し、その感染作用が双方に壊滅的結果をもたらしたと叙述した。このような「怖れ」の原因と作用、そして「怖れ」につきものの病理こそが、この歴史家の分析対象だったのである。
他方、『歴史』の翻訳を学問の出発点としたホッブズにとっても「怖れ」の問題は切実であった。実際、『リヴァイアサン』で印象的なのは、自然状態が「各人の各人に対する戦争」であり、個人に認められた自己保存の権利が衝突し、競争や相互不信、誇りなどの情念の作用で自己破滅的になる危険があるからこそ、それを阻止するために、自己防衛の権利の移譲や、信約の履行などの自然法が存在するとの指摘である。そして「平和を求めよという自然法の第一原則」が最優先されるのは、戦争が文化を奪い、人間の生を「孤独で、貧しく、不快で、残忍で、しかも短い」ものにするからに他ならない。
かくして、リアリズムと平和への希求とはコインの表裏を形成する。木庭によれば、もとより両者が社会的現実としての情念を冷徹に分析したのは、それを前提として平和実現の条件を考察するためであった。彼らは、昨今の「リアリズム」のように、「怖れ」の情念そのものを「大原理」として直接の行動指針を引き出そうとしたのではない。
平穏な日常こそ
「怖れ」や「怒り」「希望」「意志」などの情念と向き合い、平和に繋(つな)げようとしたのは、知的巨人たちのみではない。ボーンは、戦争の熱狂に流されない反骨者こそが新たな文化の担い手になると語ったが、冷戦下の日本で憲法9条を信じ続けたのもこのような反骨者であり、また大江健三郎の言う「持続する志」の持ち主であった。同時代を語り続けた詩人、長田弘もその一人である。「この世に在ることは、切ないのだ。/そうであればこそ、戦争を求めるものは、/なによりも日々の穏やかさを恐れる。/平和とは(平凡きわまりない)一日のことだ。」(『世界はうつくしいと』)。平和とは日常を取り戻すことだと言う長田と、平和とは「戦闘へのあきらかな傾向性」を持たないすべての時間であるとしたホッブズとを結ぶのは突飛(とっぴ)すぎる発想であろうか。=朝日新聞2023年7月29日掲載