ISBN: 9784885881114
発売⽇: 2023/06/15
サイズ: 19cm/205p
「ガラスの帽子」 [著]ナヴァ・セメル
海辺に座り砂をさわっていると、中から色とりどりの宝石がぽろぽろ出てきた。そんな読書体験だった。
ナヴァ・セメルという作家をこの本ではじめて知った。冒頭を飾る超短編「ガブリエルとファニー」は、彼女の祖父母の名前を冠した一族のサーガだ。
20世紀初頭、祖父はヨーロッパに妻と生後6カ月の息子を残し、アメリカに移民した。暮らしが落ち着いたら呼び寄せるという約束は、彼がニューヨークで株の相場師になったところで果たされなかった。別の女性ができたのだ。それから戦争があり、ホロコーストがあった。戦後、祖父は建国したばかりのイスラエルにやって来て、迫害から生還していた妻と再会し、離婚する。ところが10年後、病で失明すると、祖父はのこのこと舞い戻ってくる。世話をする義理などないのに、祖母はそれを受け入れる。あまつさえ、祖父からの二度目のプロポーズも。
このときの結婚式の写真がある。祖父母に挟まれて無邪気に笑っている幼い少女が著者だ。彼女はこの長大で濃密なユダヤ人のファミリーツリーを、たった10ページで描き出した。
1985年に初版が刊行された本書は9つの物語から成るが、いずれもテーマの重さと複雑さに反し、簡潔に短い。著者は54年イスラエル生まれ。ホロコーストを生き延びた両親を持ち、「第二世代」という自身のアイデンティティに小説で向き合った。
「ガラスの帽子」とは、腕に番号が刻まれていなくとも、生還者の子や孫がみな、生まれながらに戴(いただ)いている、目には見えないものの比喩。「わたしたちは恥辱に閉じ込められた生き物の次世代です」「子どもというのは新しくできた傷であり、親を慰めることはできません」の言葉に、この世代の苦しみが凝縮されている。戦争はたとえ終わっても、受けた傷は何世代にもわたって継承される。
救いのない歴史だ。その憎しみ合いの渦の中で、しかし女同士は深く連帯している。収容所での惨絶な日々を描く表題作で、慰安婦クラリサが見せる囚人たちへの崇高なまでの慈悲深さ。結婚のためユダヤ教に改宗したドイツ人女性と、ホロコースト犠牲者である義母との絆。冒頭の祖父母の元に実はある日、別れた女性がアメリカからやって来るのだが、ここでも女二人は奇妙に結託していたというのが、まことに小気味良い。
著者は2017年に63歳の若さで他界している。訳者の尽力により、ヘブライ語で書かれた物語は今、極東の島国にたどり着いた。
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Nava Semel(1954~2017) ホロコーストを生き延びた両親のもと、イスラエルに生まれる。ジャーナリストなどを経て作家に。小説や脚本を数多く手がけ、国内外の文学賞やドラマ賞を受賞。