「沈黙の勇者たち」書評 危険冒す素朴なヒューマニズム
ISBN: 9784106038990
発売⽇: 2023/05/25
サイズ: 20cm/283p
「沈黙の勇者たち」 [著]岡典子
ナチス政権下のユダヤ人虐殺の陰で、ドイツ国内に残らざるを得なかったユダヤ人がいかなる運命を辿(たど)ったのかを本書は検証する。もっと嚙(か)み砕いていうならば潜伏者を守り、保護し、救援したドイツ国民はどれほどいたのかを公刊書を整理する形で明かしている。
収容所送りを逃れて潜伏したユダヤ人はドイツ全土で1万人から1万2千人、終戦まで生きながらえたのは5千人ほどで、ドイツ社会の救援者は2万人を超えると見られている。そういう救援者を「沈黙の勇者」と呼び、今も実態解明が進んでいるというのである。
本書は、この「沈黙の勇者」と潜伏ユダヤ人がいかにしてゲシュタポなどの追及を逃れて、生を守る闘いを続けたかを多くのエピソードを積み重ねていく。
ユダヤ人迫害は1935年のニュルンベルク人種法を契機に始まるが、38年の「水晶の夜」事件、41年の収容所移送と進む。差別、迫害、搾取、追放、移送、大量虐殺、殲滅(せんめつ)というレールの下で残酷性が加速していくのだが、救援者にもまたさまざまなタイプがあることがわかる。
反ナチ、ユダヤ人への親近感、正義感、隣人への支援など多様性の中にある素朴なヒューマニズムが、命の危険を冒すことを上回るのだ。警官や国防軍兵士の中にも「沈黙の勇者」が少数とはいえ存在した、との事実には考えさせられる。
偽造身分証明書の作成に尽力したユダヤ人弁護士のカウフマンは密(ひそ)かにこの作業を金銭化して、生活の手段とするネットワークを作りあげた。支援の背景には政治家もいた(最終的には裏切りが出て、カウフマンは収容所で銃殺される)。十代の少年が、子どものいる未婚の看護師に結婚を迫られる。結婚によって移送される可能性が低くなるのだ。こうしたエピソードが展開され、密告監視社会にあっても「他者を信じる」というもう一つの社会があったという結語は、本書の重要な視点である。
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おか・のりこ 1965年生まれ。筑波大教授(障害者教育史)。著書に『視覚障害者の自立と音楽』など。