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太宰治賞・西村亨さん 死にたい僕を、いつも小説が引きとめた 連載「小説家になりたい人が、なった人に聞いてみた。」#4

西村亨さん=撮影・武藤奈緒美

壊れた冷蔵庫の中には今も遺書が=撮影・武藤奈緒美

初めて読んだ小説「人間失格」に衝撃

 会ってみたら、想定を上回る「死にたい人」でびっくりした。

 西村亨さんの受賞作「自分以外全員他人」は生きづらさを抱え、自殺を計画する男が主人公。受賞スピーチの採録には「昔からずっと、早く死にたいと思いながら生きて来た」とあった。それでも私は、「とはいえ」と思っていた。

 正座でかしこまる西村さんの後ろに紙袋があって、本がたくさん入っているのが見えた。「本棚代わりですか?」と尋ねると、「ああ、これは今年の3月の初めごろまで死のうと思ってたんで、処分する本をまとめていたんです」と言う。壊れたミニ冷蔵庫のなかには、受賞作で書かれた通りに遺書と保険證券が入っていた。

「最終選考に残ったという連絡が来た日も、近所の公園で死ぬ練習をしていたんです。小説と同じく断食往生する計画で、芝生に寝っ転がって『けっこう背中痛いな、マット欲しい、荷物が増えるから自転車に荷台付けなきゃな』とか考えていました。それで夕方家に戻ったら最終候補に選ばれたというメールが届いていて――」

 どうしてそんなに死にたかったんだろう。

「子どものころからとにかく生きているのが嫌だったんです。中学2年の頃にはっきりと死にたいと思ってからは、それが普通の状態として過ごしてきました。とくに30代後半からは、うつ病なのか更年期障害なのか、精神が不安定になって、このままではいつか衝動的に人に危害を加えてしまうという恐れから、そうなる前に自分の首を掻っ切れるようにと、折りたたみ式のナイフを持ち歩いていた時期もありました」

 頑張って生きようとしたこともあった。高校卒業後すぐに、親友が車の事故で他界した。

「東京で音楽をやりたい、って言ってた友達が死んで、死にたい自分が生きているのが変というか申し訳なくて。とにかく頑張って働いてみようと、上京してレストランに勤めたものの、そのうち同僚と遊ぶ方が楽しくなってきて。そんな自分が嫌になり半年で辞めて鹿児島に帰ると、それからはバイトを転々としてきました」

 潔癖な人なのだ。自己修練の日々に教養を深めようと初めて読んだ小説が、太宰治の『人間失格』だった。

「背後に大きなマンションがそびえたつ家賃2万7千円の、昼間でも一切日の光の入らない部屋の中、電気スタンドのぼんやりとした灯りの下で読んだところ、冒頭からの共感の嵐に感銘と衝撃を覚えて。自分もこんなふうに、自らの恥をさらけ出すことで、生きづらさを抱える人の助けになりたいと思うようになりました」

『人間失格』は100回以上読んだ。「最初は暗い話だと思っていたけど、今ではギャグ小説だと受け止めています」自分の中に刻みたくて、写本も何度も。右は新潮文庫バージョン、左は持ち歩き用の抜粋版=撮影・武藤奈緒美

太宰を目指したら20余年書けず

 その勢いのまま初小説を書いたものの、あまりのヘタさに愕然。まずは勉強、と以降は読むほうに集中した。太宰治の『グッドバイ』『お伽草紙』に始まり、太宰周辺の井伏鱒二、夏目漱石。海外の名作にも目を向けてカミュ、カフカ。次は現代文学と吉本ばななの『キッチン』から始まって、彼女の作品に解説を寄せていた村上龍、高橋源一郎へ……。結局、初応募は42歳のとき。小説家になりたいと思ってから、24年が経っていた。

「その間もあらすじやプロットは書いていたんですが、小説は1作も最後まで書き上げられず。いよいよまずいと思っていた40歳のころ、村田沙耶香さんがラジオで『小学生のころから小説を書いていたけど、高校に入って急に書けなくなった。理由は、最初から山田詠美さんのようなすごい文章を書こうとしていたから。後から手直しはいくらでもできる、と切り替えたら書けるようになった』という意味のお話をされていて、自分もそうだったことにようやく気づいてからは、下手でもとにかく最後まで書こうと思えるようになりました」

 42歳から2年続けて文藝賞に応募するも、予選落ち。43歳、第37回太宰治賞で1次通過する。

「太宰賞は自分の中で特別だったので、『これだ』と思えるものが書けるまでは応募しないつもりでしたが、コロナ禍になって自分も世の中もいつどうなるかわからない。思い切って出したら1次通過で、自分の書いているものが小説だと認められたと思いました。めちゃくちゃ嬉しかったです」

書いたものはA4に2段組みでプリントアウトし、半分に切って持ち歩く。仕事の合間、公園、図書館などでひたすら改稿を重ねる=撮影・武藤奈緒美

人生最期の小説になるはずだった

 翌年の太宰賞も応募するも、こちらは予選落ち。前回よりいいものを書けたと思っていた西村さんは激しく落ち込んだ。

「そのあと5か月くらいは小説を読むことも書くこともできず、ただ毎日死ぬことばかり考えていました。自殺でも死亡保険が下りるようになる10月になったら死のうと思っていたのですが、規約を満たしたとたんに死んだら計画的な犯行と見なされて保険金が下りないのではと思い、翌年の春まで待つことに。それまで何をするかとなったとき、自分には書くことしかなかったので、最期にもう一度だけ太宰賞に挑戦することにしました」

 ホントに受賞してよかった……! じつは最期の作品として書いていたのは、「自分以外全員他人」とは全く別のヒューマンドラマ系の話だったそう。

「9月の終わりに受賞作にも書いた家族とのいざこざや駐輪場トラブルに見舞われて、自分の荒れ狂う内面と“ちょっといい話”のギャップに耐え切れなくなり、それなら今のこの感情を書くしかない、書かないと自分はおかしくなる、と10月末から急遽プロットを組み立てて、11月1日から書き始めたので、執筆期間は1か月半くらいです。(※応募締め切りは12月10日)

 最初は3人称の滑稽話として書いたのですが、締め切り5日前に書き上げて読み返したところ、あまりのしょうもなさに愕然として。恥ずかしいから送るのやめる、と鹿児島の友達にLINEしたら『いや応募はせーよ』と返ってきたので、少しでもマシな形にするにはと、半ばやけくその思いつきで3人称を1人称に変えてみることに。原稿データを開き、主人公の名前の〈柳田〉という部分を〈私〉に書き換えるうちに、だんだんと気持ちが入り、次々と新たなアイデアが湧いてきました。1人称で向き合うことで、作品の内容とその時の心境とがぴたっとはまったんだと思います。

 時間が足りず、焦りでパニックに陥ることもありましたが、パソコンに向かう前に『お願いします、書かせてください』と祈ると、不思議と書き進めることができました。今でもあの小説は、書くに至ったいざこざやトラブルも含め、見えない何かに書かせてもらったという感覚があります」

 今振り返って、なぜこの作品は受賞できたと思いますか。

「1次通過した作品の方向でもっと奇抜なもの、文章の精度を高めたものを書けば受賞できるんじゃないかと思い再度応募するも翌年は予選落ち。思えば、最初に応募したものは下手くそでも『これを書きたい』と思うものでした。でも次の作品は『こういう小説なら受賞できるんじゃないか』とあざとく狙ってしまった。今回の受賞作は『どうしてもこれを書かずにはいられない』というものだったので、その思いが通じたのではないかと思います」

選考会の結果を待つ間、「人間失格」と1次通過したときの作品集、選考会用の小冊子を祭壇のように並べ、その前に正座していた。1時間が経ち、諦めかけたが「いや、受賞させてください」と手を組んで祈った瞬間、電話が鳴った=撮影・武藤奈緒美

「死にたい気持ち」のその後は

 受賞し、小説家となって、死にたい気持ちは消えたのだろうか。

「最終候補に残って、修正作業をしている間は、これまでの人生で味わったことのない充実感を覚えて、この感覚をまた味わいたいと考えているうちに死ぬ気がなくなり、どうしても受賞したい、という欲も出てきました。受賞の連絡を受けた時は嬉しいというよりも命拾いしたという安堵の気持ちが強かったです」

 そんな西村さんにとって「小説家になる」とは「人と関わること」だという。

「僕は元々極度の人見知りで、30代の終わりからはいつも1人で行動し、外食は券売機のある店、買い物はセルフレジのある店を利用してきました。たいがいの人と話が合わず、店員さんから冷たい態度を取られると、自分が悪かったんだろうかといつまでも考えてしまうからです。そんな自分でも、たまにリラックスできる人に出会うことがあり、そういう人はみんな、本を読む人でした。本を読むということは、たくさんの価値観に触れているということ。だから僕のような変な人間も受け入れてくれるんだと思います。

 今回受賞し、贈呈式ではたくさんの人に祝福してもらい、三鷹市さんが招待してくださった文学散歩では、職員の方に親切にしていただき、作品の感想を言ってくださる方もいて、人と関わるのもいいもんだな、と久しぶりに思うことができました」

 受賞後はその頻度は減ったものの、今でもときおり死にたくなる。

「先日も、ある人を無自覚に傷つけてしまい、もうこんな自分は死ぬしかないと思っていたんです。でもその夜、TwitterのDMに受賞作の感想を長文で送ってくださった方がいて。それがなかったらたぶん死んでいたと思います」

 西村さんの部屋には紙袋の本とは別に、「取っておくもの」と書かれた段ボール箱に入っている本もあった。「自殺を思いとどまって家に帰ってきたとき用の本です」と、一冊一冊どんなふうにその本に救われたか語る西村さん。その目は生き生きとしている。とくに感銘を受けた本はノートに書き写し、携帯のボイス機能に吹き込み、何度も聴いて、自分の血肉としてきた。小説が、彼の命を延ばしてきた。

撮影・武藤奈緒美

 西村さんは「小説家になるとは、人と関わること」と言ったけれど、それってつまり、「生きること」なんじゃないかな。

 死をお守りのようにして、生きている人に初めて会った。
「死にたい」と思ったことは数えるほどしかない私だけど、「自分以外全員他人」を読んだとき、柳田に反感はなく、どことなく可笑しかった。「笑ってもらうつもりで書いたんです」と西村さんも言っていた。こういう人もいるんだな、と思い、こういう生き方もあるんだな、と思う。それが小説の力だ。そのことが、死にたい誰かを少し生きやすくする。
 西村さんが『人間失格』で救われたように、西村さんの書くものはこれからたくさんの人を救うだろう。そのことが全部、西村さんの「生きること」へ還っていきますように。

「小説家になりたい人」として話を聞いていたつもりなのに、いつもの野心はどこへやら。ただ小説が持つ力をまざまざと感じて、敬虔な思いになっていた。

 その頂は高い。でも、登る価値がある。
 生きづらい人も、生きやすさが苦しい人も、みな生きながらそれを目指す。

【次号予告】
次回は、第9回林芙美子文学賞を受賞した屋敷葉さんにインタビュー予定。北九州市主催の文学賞で、選考委員は井上荒野さん、角田光代さん、川上未映子さん。