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一人暮らしを始めた朝霧咲さんが帰省して感じた地元への思い

©GettyImages

 家の鍵は置いていくと決めた。そうでないと、いつか簡単に心が折れてしまう気がして。

 引き出しに仕舞い、鍵も閉める。その中には他にも、隠したいけれど下宿先に持っていく必要は感じない、置き所に困る持ち物がひっそりと息を沈めている。
 壊れかけたキーホルダーに、折り目が破れているラブレター、もらっただけで飲んでいない薬。

 次開けるのは、いつになるだろうと思った。そして、次この部屋に来るのはいつだろう、とも。

 今年の4月から大学生になり、一人暮らしを始めた。今まで住んでいた場所が、唐突に『地元』という言葉で指される違和感。私が住んでいたのは、名古屋市のベッドタウンでもある小さな町で、朝、「各々の今日」へ向かった人が、ばらばらのタイミングで戻ってくるような、ゆったりとした雰囲気のこの町が好きだった。深く息を吸い込んだ時、肺に満ちる空気が温かいと感じるような、この場所の穏やかさが好きだった。

「帰りたい」
 下宿先の床に寝転がり、スマホ片手に幾度となく思った。帰るって何だ、今家にいるというのに。自分で自分に呆れた。帰りたい。無性にそう思う。実家に? 地元に? そうではない、と力強く否定する自分がいた。違うのだ。ただ、帰りたい。
 けれど、自分がどこに帰りたいのか、もう分からないのだ。

 家を出るというのはこういうことなんだなと漠然と思った。帰る場所が二つできるなんて喜ばしい話ではなくて、どっちつかずの中途半端のまま二つの土地を彷徨うのだ。

 不安に苛まれて自己暗示に頼り、「大丈夫」と口の中で何百回と転がしながら学校に通っていた4月。雨に降られながら自転車を漕ぎ、ずぶ濡れで帰宅した日にようやく、私は4年間、ここで暮らしていく実感が沸いた。

 夏休みに入り、私は比較的長い間、帰省した。帰省のタイミングは、私が住んでいる町主催の盆踊りの時期に何が何でも間に合わせた。規模はそれほど大きくないのに、違う地区からもたくさんの人が集まる、小さなころから毎年通った思い入れのある祭りだ。コロナ禍の影響で、4年ぶりの開催となった。たぶんこれで、私の中のコロナ禍に一区切りが付いた。

 もうこんな時にしか会わない同級生がいる。いつでも一歩引いていた友人は、高校3年間を経て、ずいぶん性格が変わっていた。あの子たちの恋バナには全くついていけないし、ついていきたいとも今はもう思わない。顔が広くなっていた友人は、相変わらず気さくなままで、そのことがとても嬉しい。猫背と細身が懐かしい面影がある。誰々を介していないと、あいつとは話せない。そんな気まずい関係もちらほら聞く。
 中学生までは全日程参加するのが当たり前だったのに、もう今ではそんな人の方が珍しい。来なかった同級生に、「もっと地元を愛せ、薄情者ーっ」とDMを送る。

 この祭りの、この町の、私が生まれ育った場所の、いくつものことが好きで、もちろん嫌いなこともあって、たぶん、それなりに大好きだった。大音量で流れる音楽に合わせて、他の人にバレないぎりぎりの声量で歌いながら、帰ってきた今だけは、『大好きだった』、そう過去形で語らなくていいのだと気付く。