1行も書けないことに愕然
郊外の一軒家、ご夫婦で迎えてくれた屋敷さん。受賞作「いっそ幻聴が聞けたら」からは想像できないはつらつとした笑顔に、かえって屋敷さんの作家としての力を感じる。現在29歳。小説を書き始めたのは4年ほど前だそう。
「夫が資格の勉強をしているので、土日も平日も一人の時間が多くて。アニメとかゲームとか音の出る娯楽だと邪魔になるかと思って、小説を読むようになりました。それでも時間が余るので、じゃあ書いてみようと思ったのが始まりです」
いざ書こうとパソコンの前に座ったが1行も書けないことに気づき、まずは基礎からと小説のハウツー本を読み漁った。
「好きな作家さんの文章を書き写したり、音読したり、比喩表現にマーカーを引いたりもしました。作家さんの句読点のリズムとか、ひらがな表記のこだわりとか、そういう感覚が少しは身についたのですが、文章の濃度のようなものはとうてい真似できるものではありませんでした」
ハウツー本にならって、起承転結があり、主人公の心情が物語のはじめと終わりで変化するものを書く。でも、できたものは、ありきたりでつまらなかった。
「そんなときに、山下澄人さんの小説に出会いました。そこで起承転結や心情の変化といった、自分で作り上げた小説の基本的概念をボカンと壊されたような衝撃を受けたんです。ご本人がインタビューで『人間というのは脈絡のない生き物だ』というようなことをおっしゃっていて、なぜ自分の小説がつまらなかったのかやっとわかりました。要するに、小説は私が思うよりもずっと自由で、〝こうでなければいけない″というものではないと」
「練習」の成果を試したくて
〝基礎と自由を足して2で割った小説″を目指すようになった屋敷さん。時間つぶしだったはずの小説、なぜ文学賞に応募する気になったのだろう。
「スポーツと一緒で、いっぱい練習したら今度は試合をしたくなったんです。自分の書いているものがどの程度のものなのか試したくて。それと私、むだなことにお金をかけるのが嫌で……。そこは受賞作の主人公・陽子に似ているかも。こういうハウツー本も一冊一冊けっこう高くてお金がかかるので、自分に投資していいのかどうか確信がほしかったんです」
まず最初に応募したのは雑誌「公募ガイド」主催の「高橋源一郎の小説指南 小説でもどうぞ」。400字詰め原稿用紙5枚の掌編のコンテストで、2回出して2回とも選外佳作だった。
「そのとき初めて母や兄に小説を書いていることを伝えたのですが、兄から『俺も小説を書こうとしたことがあるけれど、原稿用紙1枚も埋められなかった。5枚も埋まるっていうのは素質あるんじゃない』と言ってくれて、もう少し続けようと思うことができました。それまで読まれることが怖かったのですが、誰かに読んでもらうまでがワンセットで小説なのだと感じました」
新人賞が載っている文芸誌を過去にさかのぼって取り寄せ、熟読もした。「どんな質で書かなければいけないのかと思って」
とにかく向上心が強い。あの、もしかして屋敷さん、体育会系ですか?
「卓球で関東大会に出場したことがあります。文学賞も1次予選、2次予選、最終選考となんだかトーナメントみたいだし、もし応募していいところまでいけたら、小説教室に通おうかなと思っていました。スポーツで例えると、可能性のある選手がいいコーチをつけるみたいな……」
そして、2022年神奈川文芸賞の短編小説部門に応募する。選考結果が元旦の神奈川新聞で発表されたが、そこに屋敷さんの名前はなかった。「お正月から失恋したみたいに落ち込みました」
ところが後日、事務局から次点だったことを知らせるメールが。さらにそこには、審査員・朝井リョウさんからの講評が添付されていた。「また筆を持ち続ける勇気をもらいました」
そして、今回受賞した林芙美子文学賞に応募。
「この賞にしたのはなんといっても、井上荒野さん、角田光代さん、川上未映子さんという選考委員の圧倒されるほどの豪華さ。まさか受賞できるとは思っていませんでしたが、先生方にもし読んでもらえたら……という妄想だけは何度もしていました」
最終選考の日は、気をそらすためにアニメの「ドラゴンボール」を観ていたそう。
「こどもの頃から大好きで、熱を出したりすると観るんですよ。何回観てものめり込めます。でも今回は、電話の音は聞き逃さないように音を小さくして……。電話が鳴って、編集の方から『選ばれました』って第一声があって、そこから先生方がこう言ってたとか伝えてくださったんですが、あわわわ、となってしまって記憶があやふや。必死でメモも取ったんですが、震えてミミズみたいな字になっちゃって(笑)。ちゃんと選評を把握したのは授賞式でのことでした」
電気配線のようにシーンをつなぐ
小説の基礎と自由を学んだ屋敷さん、どういった小説の書き方をするのだろうか。
「パソコンで箱書きのひな形を作って、思いついたところから埋めていくんですが、作品のテーマが全てのシーンに反映されているように考えていきます。たとえば、陽子は『働かないといけない』という社会の暗黙のルールから抜け出したい人。工場のパート勤務ということはすぐ浮かんだんですが、なんの工場かが、なかなか決められませんでした。こんにゃく工場になったのは、〈灰色〉と〈長方形〉というところからなんです。HSP(敏感過ぎる人)とかADHD(注意欠如・多動症)とか、レントゲンには写らない特性ってありますよね。ただ忘れっぽいだけなのか、障害なのか可視化できない。そのグレーゾーンで苦しんでいるのが陽子なんです。だから灰色。そして、長方形というのは陽子の歪さとの対比です。ほかにも陽子はこんにゃくの検品作業をしながら、『もっとわかりやすくどこかが欠損していれば(はじけるのに)』と、自分とこんにゃくを重ね合わせます」
こんなふうに小説に出すものすべてに意味を持たせ、パズルのように物語をつないでいくという。正直、屋敷さんに取材するまでは、「ハウツー本なんて」とバカにする気持ちがあった。でも、屋敷さんの執筆法はハウツー本で必ず言われる5W1Hに則ったもの。そこに小説の自由さと、屋敷さんオリジナルのこだわりを散りばめて、唯一の作品が出来ていく。なんだかその作業、楽しそう……。
ちなみに、陽子と屋敷さんは重なる部分があるのだろうか。
「これは私小説ではありませんが、人から決められたルールに懐疑的なのは私も同じですね。私、7億円ぐらい持っていたら働かないです、絶対。小説は書くかもしれないけど。『働きたくない』と話すとほとんどの人はわがままだと捉えると思うんですけど、それを主張したいという陽子の気持ちは小説の中だけは否定されないんですよね 」
屋敷さんは現在、電子部品メーカーで 配線の仕事をしているそう。
「はんだごてやドリルを使って線をつなぐ石田夏穂さんの『我が手の太陽』のような仕事です。前職も似たような仕事でした。対人の仕事だと、どんなに勉強しても対応しきれないことが起こってストレスが溜まる。ものや機械相手の仕事ならマニュアルを見ればどうにかなります」
その考え方、彼女の小説への向き合い方に通ずるものがある。
もっと力が必要だと思い知った
屋敷さんはこれまで選外佳作、次点と、必ず何かしらの成績を残し、わずか4作目で受賞した。が、本人は「才能から一番遠いところにいる」と言う。
「私はここまでハウツー本を片手に『小説とはなんぞや?』と戦ってきた、ふつうの人間です。勉強せずに書けるとか、読まずに書けるとかそういうことはなく、いろんな角度から試行錯誤して小説の勉強をしてきました。『才能』で書いている、とは言えないです」
でも選ばれたということは、「小説家になれる力がある」ということですよね?
「いえ、ようやく土俵に上がったということだと思います。この後、自分がどこまで食らいついていけるのか。許されるなら小説を書き続けていきたい。いつか小説家になりたい。でも、今回受賞して、作品を生み出すにはもっともっと力が必要だと思い知りました」
選考委員のお三方からもらった選評は、迷うたびに読み返し、おろそかにしがちなところは書き出して、常に目に入るようにパソコンに貼っているそうだ。これからも彼女は小説と格闘し、そのたびに力をつけていくんだろう。大人になってからこんなふうに進化を目指していけるっていいな。
じつは同賞の2次選考で落選した私。ひたむきに学び続ける彼女を見ていたら、「自分には才能がない」というところから私も始めようと思った。まずはハウツー本を買ってみよう。