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村上靖彦「客観性の落とし穴」 エビデンス主義には問題も

 若手論客が「エビデンス」に基づいて高齢者の切り捨て政策を主張しては炎上するといった風景は、いつしか見慣れたものとなった。著者の村上も、学生から「先生の言っていることに客観的な妥当性はあるのですか?」などと問われるという。評者も医師である以上、エビデンスの大切さを理解してはいる。しかし、ゆきすぎたエビデンス主義には問題もある。

 エビデンスとは要するに、客観的で統計的な事実のことだ。エビデンスは個人の行動に伴うリスクを計算可能であるかに見せかけ、自己責任論を強化する。その結果、人は自ら進んで、合理的で根拠のある社会規範に従おうとするだろう。統計学が支配する社会は、おのずから為政者や経済的強者に有利なものとなり、人々の生はいっそう息苦しいものとなる。

 村上は自身のインタビュー経験に基づき、客観性とは対照的な「経験の生々しさ」に注目し、それをもたらす偶然性やリズムといったダイナミズムの価値を強調する。ここでは偶然を飼い馴(な)らそうとする統計学と、偶然に意味を見出(みいだ)そうとする現象学的なナラティブが対立する。村上は、ベンヤミンを引用しつつ次のように述べる。「平均によって得られる科学的な一般性とは異なる場所に普遍と理念がある」「個別性を追求したはての極限に概念がある」。その概念こそが、倫理的な方向性に向いていると。そう、エビデンスから倫理性は導かれえないのである。

 評者自身の精神科医としての体験から付け加えるなら、治療における「対話」もまた、エビデンスとは鋭く対立する。対話は主観と主観の交換であり、だからこそ倫理性が重要となる。対話におけるエビデンスには、対話を終わらせる機能しかない。もっとも、エビデンス一辺倒に見える医療においても、近年は患者の主観と語りを重視する「ナラティブ・ベースト・メディシン」が重視されていることは付記しておこう。=朝日新聞2023年10月7日掲載

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 ちくまプリマー新書・880円=6刷4万8千部。6月刊。「それって個人の感想ですよね」「エビデンスはあるんですか」といった「帯の惹句(じゃっく)に反応する読者が多く驚いた」と担当者。