ようやく涼しい風が吹き始めた。岡本勝人著『海への巡礼 文学が生まれる場所』は、静かな秋の夜長にゆっくりと繰るにふさわしい。詩人で文芸評論家の著者に誘われて世界各地を旅しながら、つれづれにひもとかれる古今東西の書物を知る、あるいは改めて向き合う、そんなぜいたくなひとときが待っている。
島や半島を囲み、陸と陸とを結ぶ海への憧れは、多くの文学者を育んできた。本書は、欧州のノルマンディやブルターニュ地方に始まり、米国や南米、アジアを経巡って、最後に「海の作家」ヘミングウェイの青春をパリに追う。プルーストやル・クレジオ、西脇順三郎に島尾敏雄から空海まで、実に多彩な人物を自在に呼び出しての思索の旅である。
遠い異国の水辺でさまざま思いをはせるばかりではない。柳田國男や折口信夫、吉増剛造らを参照しつつたどる琉球弧、澁澤龍彦と中上健次それぞれが残した自筆地図に見る東アジアへの両作家のまなざしなど、随所でハッとさせられる。
巻末に、引用される書物の長い一覧がある。生きている間に全て味わうことはかなわないかもしれないと思うのは、どれも熟読、精読、再読に値すると思われるからで、楽しみでもあれば、時間の過ぎる速さが恨めしくもなる。(福田宏樹)=朝日新聞2023年10月7日掲載