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映画「月」オダギリジョーさん×石井裕也監督インタビュー 障害者殺傷事件の闇「一歩間違えば自分もそうなりうる怖さ」

石井裕也監督(左)とオダギリジョーさん=junko撮影

人間存在そのものを問題にする「闇」

──原作者の辺見庸さんが「作家が執筆に向かうのは、書きたいことがある時と、書かなければいけないことがある時。今回は後者だった」とおっしゃっていました。映画化を依頼された時の気持ちを教えてください。

石井裕也(以下、石井):辺見さんの言葉を借りるんだったら、同じ気持ちでしたよね。撮りたい映画と撮らなきゃいけない映画だったら、後者だった。もう逃げられない、覚悟を決めた一本になりました。

──原作はきーちゃんとさとくんの想念の奔流に飲み込まれ、まさに文学でしかできないことだと思いました。映画でしかできないことをするために、どうやって物語を組み立てていったんでしょうか。

石井:原作を読んで、独特な「闇」を強く感じました。それは多分、重度障害者施設という閉ざされた世界の中を見たことがないっていう前提があったのかもしれないですけど、その中でうごめいている「闇」ってなんなんだ? と。あとは、人間存在そのものにまとわりついている「闇」というのも感じて。そのふたつの「闇」を映画的に変換して、映画として見せるにはどうすればいいかってことを最初に考えました。

──そのなかで、どこか合わせ鏡のような、映画オリジナルのキャラクターが肉付けされていったわけですね。とりわけオダギリジョーさん演じる昌平には何を託したのでしょうか?

石井:希望です。

(C)2023『月』製作委員会

──希望を託されたオダギリさんは、今回の昌平をどうとらえ、深めようとしたんでしょうか?

オダギリジョー(以下、オダギリ):いやあ、それは簡単に⾔葉にはできないですね。脚本から受け⽌めたものを、⽯井さんや宮沢(りえ)さんたちとの化学反応で広げていくものじゃないですか? 芝居を⾔語化するのは苦⼿なので、すいません(笑)。

石井:結構本質的な質問ですよね(笑)。

──オダギリさんは脚本を読んだ時「石井さんらしい脚本」と思ったとのことですが、石井監督の作家性はどんなところにあると思いますか?

オダギリ:真摯に物事を突き詰めて深めていく強さみたいなものを毎回感じますね。それはうわべではない、現実の⽣々しさにつながるオリジナリティーだと思いますね。

「がんばって生きていく」を見せる

(C)2023『月』製作委員会

──映画では、さとくんを邪悪で恐ろしいものとして描くのではなく、普通に存在させていたというのがかえって怖かったです。おふたりは「さとくん的なるもの」に対しては、どう思われますか。

石井:彼に対する僕のとらえ方は、極めて普通の人。要するに、いまの世の中や普通を生き写しにしたかのような人だから、そういう意味では世の中そのものというか、社会のかなり近いところに「さとくん的なるもの」ってある。もっと言うと、自分の中にもあるっていうことですよね。

オダギリ:僕もあまり遠いものとは考えられなかったですね。⼀歩間違えば⾃分もそうなりうる怖さみたいなものがあるからこそ、この作品が、⽬を背けたくなるものなんじゃないでしょうか。

──誰も入ってはいけないと言われている、高城さんの部屋のシーンはショッキングでした。あの場面と最初の東日本大震災のシーンの光量がとくに激しかったのは、「臭いものには蓋をする」社会を白日のもとにさらすという意味でもあったのでしょうか。

石井:そういう正義感の伴った、ジャーナリスティックな姿勢というのは、実は僕にはあんまりなくて。日本人にはそもそも「本音と建前」というのがあって、それが人間関係を円滑に進めるための使い方だったらいいんですけど、いろんな問題を見ないようにするような流れに持っていくために使うことが多い気がして。最近の社会問題を見ると、辺見さんの言葉を使うなら、「おためごかし」(表面は人のためにするように見せかけて、実は自分の利益を図ること)のようなものがあまりにも多い気がする。そういうものに、すごく興味がありますね。

──オダギリさんのスーパーのカートに乗って登場するところや、受賞して土手で喜ぶシーン、はにかむ姿など印象的でした。セリフよりも動きのほうが気持ちを乗せやすいんでしょうか。

オダギリ:どうなんですかね(苦笑)。そういえばそのシーンの待ち時間に腰を痛めたんです。⾐装さんとメイクさんとは昔から仲がいいんですけど、みんなで柔軟体操をやっていたら、ぎっくり腰のようになってしまって。すぐにコルセットを買って来てもらいました(苦笑)。

(C)2023『月』製作委員会

──オダギリさんと宮沢さん演じる夫婦同士の繊細なやり取りはもちろん、磯村勇斗さんと二階堂ふみさんも鬼気迫るものがありました。

オダギリ:宮沢さんは常に慎重に演じられてた印象はありますね。毎⽇、いろいろと悩みながら役を模索しているように⾒えました。⽯井さんと宮沢さんの間で答えを⾒つけていく作業なんだろうなと思っていたので、僕は⾒守るだけでしたが。

──俳優同士ですり合わせていくことは?

オダギリ:石井さんとは芝居の話をたまにしますけど、俳優同士でそういう話をするのは照れくさくてできないです。一緒にお酒は飲みますけど(笑)。

──4人の主要キャスト、さとくんの彼女役を聾者の長井恵里さんが演じ、そして和歌山の通所型障害者施設AGALAの方々も出演しています。どんな化学反応や発見がありましたか?

石井:取材で実際の障害者の方々にお会いした時に、存在感や表情などの観点から、これは俳優の芝居では絶対に到達できないと思ったんです。ただ虐待などハードな場面も多いので、彼らにそれを強いるのは間違っているし、職業倫理的にも難しい。なので場面に応じて、重度障害者の彼らを撮影するパターン、軽度の知的障害者や身体障害の方に芝居としてやってもらうパターン、虐待が絡むシーンは俳優に演じてもらうパターン、この三つ巴でやりました。結果的には、彼らは彼らでプロの俳優としてのすごみをちゃんと見せてくれたし、いろんな発見がありましたね。それぞれに向き合ってカメラを向けるという行為は、絶対的に必要だと考えました。

(C)2023『月』製作委員会

――ラストシーンを原作と違う風にしたのは、どこかに希望を持たせたかったから?

石井:事件をそのまま描いて、観客に投げっぱなしにするっていうイメージは僕にはなくて。それを目の当たりにした人の葛藤や苦悩みたいなものにこそ、価値があるような気がしたんですよ。それを描くってことは、つまり希望なんですけど。

──個人的に石井監督の映画には「がんばれの系譜」があると思っています。石井さんにとって「がんばる」とは?

石井:「がんばる」っていうことが、自分が生きていくうえですごく重要なことだと思っています。でも、がんばれって言われたくないのは、「がんばる」や「愛してる」って言葉が手垢にまみれすぎて、まったく違う意味合いとして存在してしまっているから。それでもやっぱり、どうにかこうにかがんばって生きていくしかないんですよね。それをいろんな形で見せていくっていうのが映画の意義だと思うし、自分の映画なんです。それはずっと考えていますね。

個人個人で戦っていくしかない

──言葉と言えば、おふたりともSNSをやっていません。やはりある程度距離を取っているんでしょうか?

石井:面倒なんだよなあ。オダギリさんもSNSに興味ないんじゃないですか?

オダギリ:いや、僕はどっちなんですかね。20代とか若くて、表現の場が欲しければやったのかもしれないですけど、今の⾃分には必要だとは思ってないですね。単純に⾯倒くさいということもありますが。外にあんまりメッセージを発信したくない気持ちもありますね。

石井:前にオダギリさんが韓国で、現地の俳優たちと打ち上げの後に花火をやってたんです。珍しいなと思って遠目から見てたんですが、いちおう中にいて花火は持ってるんだけど、楽しくないのか心ここにあらずというか(笑)。他の俳優と群れたがらないこと含めて、なんか冷めてる。それとSNSに心がいかないのは、ほとんど同じことだと思うんですけどね。

オダギリ:いやいや、楽しんでたと思いますけどね(笑)。それなりに。

──去年の今頃、オダギリさんと浅野忠信さんと村上淳さんが出ていたトーク番組「ボクらの時代」を見ていたんですけれど、同時代の映画人にインスピレーションや刺激を受けることは多いですか。

オダギリ:やっぱり類は友を呼ぶみたいなことじゃないですか。星の数ほど役者はいますが、その中でも刺激をもらったり仲良くできたりっていうのは、本当に少ないです。そこにはまず尊敬があるんだろうし、似たような感性を持っているから共感できるんだろうし。だからと⾔って連絡をとったり遊んだりすることはなく、⾯⽩い距離感を保ってますね。

石井:文学も音楽もあらゆる表現って、ある種、人間に向き合う作業だと思う。すごいと思うんですよ。人間ってなんで生きるんですかみたいな問いや退屈でつまらない悩み、問題をずっと考え続けるって、やっぱりそれはすごく重要だと。でも、そういうものって、もういまの世の中にあんまり求められていないと思いません? だから、自分は抗おうとしてるのかもしれないです。

──わからなさに直面した時の自分なりの向き合い方ってありますか。

石井:いまも脚本とか書いてて本当に悩んで大変ですけど、割とそれが普通なんですよね。オダギリさんもそうじゃないですか? 悩んでいる時とそうじゃない時を結構分けてて、悩まない時はほうけてる。なにも心を動かさないようにしてる。

オダギリ:確かにオンとオフはハッキリありますね。

石井:だから僕も、オダギリさんと一緒にほうけたいと思います。

──おふたりとも映画業界の第一線で20年ほど活躍していますが、その変遷や現状について思うところや期待があったら教えてほしいです。

石井:業界の変遷はあんまり興味ないんですけど……問題は、映画表現に期待する、それを人生の拠り所にしようとする人が減ってってるってことじゃないですかね。

──それを「こっちおいでよ!」にするには……。

石井:それは業界全体の運動じゃないと思います。個人個人で戦っていくしかないんじゃないですか。

オダギリ:⽇本映画の現状がどうとかは、⾃分にとって⼤きな問題ではないですね。それよりも⾃分のことで精⼀杯です。⾃分がやれること、やるべきこと、やりたいことを⾒失いたくないと思うだけですね。

──戦い抗う映画人として、これから挑戦したい映像表現があれば伺いたいです。

オダギリ:内緒です(笑)。というか、あるなら実⾏するだけです。

石井:書きやすいこと本当は言いたいんですけど、いくつかやりたいものがあって、それをがんばってやるだけです。あといま考えているのは、観た人が勇気づけられる映画を作りたい。昔は「夢や希望を与えたい」って言葉に鼻白んでたんですけど、それってすごく重要だなって本当に思い始めてて。そういう映画が作りたいなって気持ちがいま湧いてるんですよ。