僕の「つんどく本」は、音楽について秀逸で新しい好奇心をくすぐる書籍が増えた。まずはそんな2冊。
輪島裕介『踊る昭和歌謡 リズムからみる大衆音楽』(NHK出版新書・902円)は、体を使って踊れるリズムを備えた大衆音楽を探るというテーマで日本のポップスに新しい知見を開いていく。常々思うのだが、この国は、体を動かし音楽を楽しむ気風が少ない。それは「踊らない態度を称賛する」社会の風潮があったとする。1950年代後半のロカビリー音楽の前には、忘れられた熱狂的なラテン音楽ブームが日本にはあった。ペアの社交ダンスと相場が決まっていたダンス・シーンにマンボによってソロダンスが登場。それによって現在のディスコやクラブに至る「個人で踊る楽しみ方」が日本人に根付いたと、著者は看破する。
ところが、そんな「踊る若者」は不良のレッテルを貼られ、弾圧に近い扱いを受ける。日本発のオリジナルなラテン・リズム「ドドンパ」のブームも興るが、その「ドドンパ」はどうも業界内で嫉妬を受けたようで、減速させられていったという。それを聞いてやはり業界内に疎む声が上がったグループ・サウンズのように終わった若者ムーブメントを思い出す人もいるだろう。
しかしドドンパは国境も渡っていた。「Da―da―um―pa」なる楽曲がイタリアでケスラー姉妹によってヒットしていたというのだ。それはYouTubeで容易に確認可能。楽しく読みながらスマホで動画サイトを参照することによって、著者と心を合わせて、踊る音楽の至福を知ることができる。
ラテン音楽同様、サブ・カルチャーとして扱われる米国のジャズ。それが戦後の冷戦下の外交でメインの武器として使われていたという驚きの歴史を掘り出したのが齋藤嘉臣『ジャズ・アンバサダーズ 「アメリカ」の音楽外交史』(講談社選書メチエ・2200円)。1956年に第一号の「ジャズ大使」としてディジー・ガレスピーが中東、南欧などに送り出された。これが熱狂的な反応を引き起こしたのだ。しかしジャズは差別されていた黒人の音楽。それを外交の前線に送り出すことは様々な困難が伴う。宿敵であった共産圏にしてみればこうした「米国の人種問題」がかっこうの批判ネタにも転化しえたのだ。
想像するだに複雑な状況の板挟みの中を、みな果敢に公演を成功させていく。問題に挟まれたアーティスト達(たち)が苦悩の中でとった態度には、彼らの精神性の真価が垣間見えるように思える。そんな中、米ソ雪解けの中で現地のファンを心の底からとろけさせたデューク・エリントンのソ連公演が凄(すご)い。当地のファンは「神とその預言者に対面するよう」と語った。各地を熱狂に陥れていく巡業の模様は圧巻。冷たい武器に代わり音楽が融和を生んだ奇跡を味わえる。特に興奮を呼んだという「A列車で行こう」の魅惑的な調べを鳴らしながら、ぜひ読んでいただきたい。
小説でも音楽が味わえる? そんなエキセントリックな感触をもたらしてくれるのがSFのJ・G・バラード『ザ・ベスト・オブ・バラード』(星新蔵訳、ちくま文庫・品切れ)。この短編集からはダークなメロディや見知らぬ風景が味わえる。
白眉(はくび)は冒頭の「音を取りのける男」。壁や家屋にこびりついた雑音や騒音をとりのぞく掃除人の物語。実は現代の技術を恐ろしいほど予言した着想だ。このたび発売されたビートルズの新曲「ナウ・アンド・ゼン」は、ジョン・レノンが残したデモ・テープから、AIを用いた新技術により綺麗(きれい)に雑音をのぞくことで創り出された。その技術をほうふつとさせる。
ネットなどの新しい技術で社会が塗り替えられていく中、SFも意味が失われる?と思われがちだ。しかし人間に対する深い洞察さえあれば、空想小説を楽しみ続けることが可能であるとバラードは教えてくれる。=朝日新聞2023年11月18日掲載