文化の秋、読書の秋。というわけで秋になると途端に、講演や読書イベントなど執筆以外の仕事が増える。特に私は歴史小説・時代小説を書いていることから、ありがたいことに博物館や歴史がらみのイベントにお招きいただく折も多い。中には当然、遠方でのご依頼もあるため、パソコンと資料を詰めたリュック一つを供に、ホテルを転々とする。
編集者さんたちには叱られるが、私は普段、雨露さえしのげればいいとの精神で適当に宿を選ぶ。ゆえに過去には深夜にドアノブをガチャガチャ回されたり、非常階段を上り下りする足音で叩(たた)き起こされたこともあった。最近は部屋で仕事をせねばならぬことも多いため、少しマシな宿を選んでいるが、それでも宿泊施設に求めるものは机の大小ぐらいだ。結局自分の中で宿泊の優先度は高くないのだろうと漠然と思っていた。――ところが、である。
先日、これまた適当に決めたホテルは、都内でも辺鄙(へんぴ)な場所にあった。施設は古く、壁は薄く、隣室のテレビの音が丸聞こえである。ううむ、さすがにこれはと思いながらひと仕事終え、ベッドに入って驚いた。シーツのさらさら具合と掛け布団の重さが、まさに私の好みだった。決してマットがいいわけでも、機能的な枕を使っているわけでもない、ただのベッドにもかかわらず、それまでの不平不満が一瞬で吹き飛んだ。「あっ、次もこのベッドで寝たい!」ととっさに思い、そんな己に驚いた。自分がなにを大切と思っているかを意外な形で突きつけられたことに、更にびっくりした。
もう四十六年の付き合いだ。己の好みぐらい、熟知しているつもりだった。それだけに思いがけぬ心の動きに、見知らぬ誰かが自分の中からひょっこり顔を出したようで楽しくなった。自分の中にはまだまだ、知らない自分がいるらしい。翌朝、廊下を行き交う他の宿泊者の会話で強制的に叩き起こされながら、これは大変いい宿に泊まったな、とにこにことしてしまった。=朝日新聞2023年11月22日掲載