「神」書評 「安楽死」問い倫理観を揺さぶる
ISBN: 9784488011291
発売⽇: 2023/09/11
サイズ: 20cm/167p
「神」 [著]フェルディナント・フォン・シーラッハ
昨年9月、91歳のジャン=リュック・ゴダールが自殺幇助(ほうじょ)による死を選択した衝撃的なニュースは、欧米諸国で人権として尊重される「死ぬ権利」の浸透や、安楽死の法制化が拡大しつつある動向に目を向ける契機にもなった。
表紙に大書された「神」の文字に怯(ひる)むことなかれ、本書は刑事事件弁護士のベストセラー作家が放つ、安楽死の本質を考えさせる挑戦的な実験戯曲だ。心身は健康だが最愛の妻に先立たれ生きる意味をなくした78歳の男性が、倫理委員会の討論会場で、医師による自死の介助を認めるよう訴える。第一幕で法学、医学、神学の専門家が各々(おのおの)の立場から意見を述べ、幕間(まくあい)で観客が投票する参加型演劇の形式だから、誰も傍観者ではいられない。
舞台となるドイツでは、命は神の所有物であり自殺は大罪だとするキリスト教的価値観の浸透に加え、かつてナチスが「慈悲の死」の名の下に重度障害者の大量殺戮(さつりく)を行った歴史的反省がある。また死の自己決定権は、欧米ではとりわけ人工妊娠中絶における胎児の命と女性の身体の自己決定権の議論と表裏一体の関係にある。日本とは歴史的・文化的背景が大きく異なる一方で、最後の参考人として登場するカトリックの司教の言葉には、一貫して安楽死を擁護してきた弁護士の心が揺らぐほどの力がある。生きることは苦しむことだ、と司教は言う。苦しみを否定し、自殺を望む人は、自分の人生の意味を否定している、と。自死の是非を問うことは、生きることの(無)意味に対峙(たいじ)することにほかならないのだ。
付録の3人の識者による論考、日本特有の状況と課題を考える手がかりになる解説に至るまで、たえず自分の倫理観を揺さぶられつづける。私(たち)の命は誰のものか。超高齢化社会に突入しつつある日本社会は、この問題にどう向き合うべきか。答えが出ない、だが共同体に人が生きる限り手放せない問いだ。
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Ferdinand von Schirach 1964年生まれ。ドイツの作家、弁護士。著書に『テロ』『禁忌』など。