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藤岡陽子さんが「世界名作劇場」に励まされた日々

©Getty Images

 あなたのいちばんの長所はなんですか? と問われたら、迷いなく「前向きなところです」と答えると思う。
 どれくらい前向きかというと、たとえば冷蔵庫の中で汁物をこぼしたら、「そろそろ掃除をする時期だから、ちょうどよかった」とすぐに布巾を手に取り掃除を始める。先日は大学生の長女から「試験がやばい。単位落としそう」と電話がかかってきたので、「苦手な科目だから、来年もやったほうがよいってことだよ」と返し、「ポジティブシンキングが過ぎる!」と呆れられてしまった。
 はて、どうして私はこんなに前向きなのか。
 このたびこちらのエッセイの依頼を受けて、昔大好きだったテレビドラマや映画について思い出していると、「ああ、これだ!」というアニメシリーズが頭に浮かんだ。
 そのアニメシリーズとは「世界名作劇場」。
 日曜の夜7時半から30分間放送されていた子ども向きのアニメで、第1作目となる『どろろと百鬼丸』(1969年)から『こんにちはアン』(2009年)まで、全部で32作とされている。(作品数に関しては諸説あるようです)
 私は1971年生まれなので『山ねずみロッキーチャック』(1973年)あたりからリアルタイムで観ていたように思う。
 他にも『アルプスの少女ハイジ』、『フランダースの犬』、『母をたずねて三千里』、『あらいぐまラスカル』、『ペリーヌ物語』、『赤毛のアン』、『トム・ソーヤの冒険』、『家族ロビンソン漂流記 ふしぎな島のフローネ』、『南の虹のルーシー』、『アルプス物語 わたしのアンネット』、『牧場の少女カトリ』、『小公女セーラ』、『愛少女ポリアンナ物語』など、忘れられない名作がたくさんあり、それらの主題歌はいまでも歌詞を見ずに歌うことができる。(披露する機会は、ほぼゼロですが……)

 ここで冒頭に戻るのだけれど、これらの世界名作劇場の物語たちが、実は私の「前向き」の原点ではないかと考える。
 というのも、名作劇場シリーズの主人公たちは誰もがきまって不運だからだ。
 『アルプスの少女ハイジ』や『フランダースの犬』の主人公には、はじめから両親がいない。『母をたずねて三千里』の主人公はイタリアの貧しい家庭に生まれ、母親がアルゼンチンまで出稼ぎに出ている。
 他の作品にしても、裕福で、人が羨むような暮らしをしている主人公はひとりもいない。
 唯一『家族ロビンソン漂流記 ふしぎな島のフローネ』の主人公には優しくて賢い両親が揃っているが、家族で無人島に漂流するという不運にみまわれている。
 つまり私はこのシリーズを観続けたことで、「逆境から立ち上がる」強さを学んだ、といっても過言ではない。
 不運なことが起こっても、前向きに、あきらめずに生きていれば、いつかきっと道は開ける。主人公たちはいつだって、希望を捨てないことの大切さを教えてくれた。(『フランダースの犬』の主人公のネロだけは最後に死んでしまうのですが……なぜ?)
 私が思うに、不運は誰にも起こり得る。それは本当に平等に、その人がどんなに日々良い行いをしていても、不運は容赦なく襲いかかるのだ。でも、その不運に向き合って、ひとつひとつ潰していけば、不幸になることはない。
 不幸というのは、不運がいくつも連なって、増殖してしまった形であると私は考える。
 だから私はなにか嫌なことが起こった時、つまり思いがけず不運に出合ってしまった時、その不運を見過ごさず真正面から向き合って、解決するようにしている。

 大好きだったはずの世界名作劇場を、1986年放送の『愛少女ポリアンナ物語』を最後に、私は観ることをやめた。
 理由は高校に進学して忙しくなったこともあるけれど、自分自身の日々に辛いことがたくさん起こるようになったからだ。両親の不仲が原因で家庭が荒み、のんびりと物語を楽しんでいる余裕がなくなってしまった。
 それでも、幼少期から15歳まで見続けてきた名作たちは私を支える力になっていた。
「逆境から立ち上がる」主人公たちの姿が、しんどかった自分に重なり、記憶に残っていた彼らの台詞は、私に前を向かせてくれた。
 そういえば世界名作劇場を観ていた頃、日曜の夜7時半になると、母がいつも「そろそろ始まるよ!」と声をかけてくれていた気がする。母に呼ばれると、私と姉と弟はテレビの前に座り、いつも4人一緒に観ていた。
 両親はその後、私が成人してから離婚するのだが、もしかしたら、当時の母も私と同じようにこの物語に励まされていたのかもしれない。
 世界名作劇場を誰よりも楽しみにしていたのは母だったのかな、といまは思う。