今年の正月は家でのんびりすると決めていた。三が日は目覚ましをかけずに眠り、好きなものを食べ、好きなことをして、好きな時間に寝るのだと。読みたい本を積みあげ、簡単なお節と毎年作っている二種のお雑煮の仕込みだけはして、年賀状の束を投函(とうかん)して、さあ正月だと用意しておいたお酒をあけた。
心ゆくまで眠った元日の午後、のんびりとお節を詰め終え、夫と「あけましておめでとう」と杯を交わそうとしたところで、家がゆらありと気持ち悪く揺れた。「地震だ」とテレビを点(つ)けると、縁のある地域に続々と警報がでていた。津波の到来を報(しら)せる緊迫したアナウンスが響く。それぞれの知人に連絡し、無事を確かめている間にお雑煮の餅は少しかたくなってしまった。被災地の人たちの新年を寿(ことほ)ぐ膳はぐちゃぐちゃになってしまったのだろうと思うと、胸が苦しくなった。
この日、と決めて祝いや休息の準備をしていても、災害は遠慮会釈もなくやってくる。人の世の瑞祥(ずいしょう)も吉凶も自然には関係ないのだろう。なにが起きるかなど、わからない。そんな不条理は当たり前なのに、いつも起きてから気づく。東日本大震災の時も、コロナ禍の時もそうだった。
今しか確かでないのなら、今だけを精一杯(いっぱい)楽しんで生きようとも思うが、人間の社会というものはそういう風にはできていない。明日も、一年後も、今ある日常が続くと信じて、働いたり学んだり貯蓄したり計画したりするのだ。人の暮らしは暗黙の約束から成り立っている。だからこそ、人の暮らす街をひねり潰すような災害を目の当たりにすると呆然(ぼうぜん)としてしまう。当事者でない者は募金したり祈ったりくらいしかできないことに無力感も覚える。結局、私は正月の間、そして今も、無力感を抱えたまま報道を眺めている。
きっと、私たちは自分が思っている以上に、日常の永続性を信じてしまっている。でも、信じているからこそ諦めず元に戻そうとするのだと思う。=朝日新聞2024年1月10日掲載