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気が合う 千早茜

 「小さな家族」と呼んでいる猫と暮らしはじめて、もうすぐ一年だ。小さな家族は十歳から十一歳になった。人間でいったら私より年上なので、そうそう変えられない自分のペースがあるだろう、と最初は遠慮がちだった。お互いに。

 今はすっかり慣れた。小さな家族が嫌がることも昼寝をする時間帯も知っているし、好みのおやつも把握している。小さな家族も人間の生活を理解していて、仕事の邪魔をすることはあるが、危ないから駄目と教えた台所にはあまり入らない(覗〈のぞ〉きはする)。徹夜で仕事していると、喉(のど)を鳴らして私の膝(ひざ)で過ごし、その日はお互い眠くて仕方なく一緒にソファで寝落ちしたりする。

 読書をしている時など、ふと気づくと隣にいて、撫(な)でようかなと手を伸ばすと、同じタイミングで小さな家族も「撫でてよ」というように前脚をちょいちょいあげている。触れた時に静電気が走るのは互いに嫌で、さっと離れて私は加湿器をつけにいき、小さな家族は湿った舌で毛繕いをはじめる。気が合う、と思う。

 テンションをあげて交友することをそう好まず、どんなに楽しくても人といると気疲れしてしまう私は、二十代の頃から「気が合う」という感覚がよく理解できなかった。自分にとっての「気が合う」は静かに同じ空間に居られることだったが、相手はつまらないと感じているかもしれない。そう思うと、落ち着かなくなってしまう。

 小さな家族は喋(しゃべ)らない。私に合わせてくれているのか、なにか我慢していることはあるのか、訊(き)いても言葉は返ってこない。だから、健康状態に、視線に、反応に、気を配る。愛情のアンテナを張り続ける。言葉に頼らず。

 言葉を仕事にして、毎日のように言葉を尽くして、言葉と格闘して、欲しかったのはこんな言葉を越えた関係だったのかもしれないと、今日も小さな家族を眺める。私を見返す球体の銀河のような美しい目には、そのままの私が映っている。=朝日新聞2024年12月4日掲載