混雑したバスからカバンをひっこ抜いて、ようやく降りたら底冷えがする寒さでした。足元からの冷気にバスを待つ人々もそわそわと落ち着きません。
停留所に面して広場には一本のモミの木がそびえています。根もとの幹の周りにはピアノの鍵盤に似た細い木を楕円(だえん)形にならべたサークルベンチが造りつけられ、夏はその木陰に腰かけバスを待つ人々も多いのですが、その時は女性がひとり、首をがくんと折るようにうつむいて、両手で顔をおおって座っていました。
マフラーで大きな結び目をつくり、フードのついたグレーのパーカを着て、青っぽい毛糸の帽子をかぶっています。背中を丸め、身体はきゃしゃで小さい。ほつれた髪は白髪交じりのグレーで、かなりの高齢のようでした。毛糸の手袋をした手で顔をわしづかみするようにして、表情はよくわかりません。
途方に暮れているのか、泣いているのか、身体全体で苦しみを訴えているようにも思えました。気分が悪いのかもしれず、声をかけようと思いながらも喉(のど)にことばがからみついて声になりません。そのまま傍らを通り過ぎて、やはり、なにか気になって振り返りました。
ちょうどひとりの年配の女性が話しかけるところで、顔を上げた女性はうなずいて、ふたりの様子に特に心配することもないようでした。
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ことばが声にならないことはたまにあります。小学生の頃、先生に「おはよう」と声をかけられ、「おはようございます」と返したつもりですが、どうやら口の中で消えたらしく、「恥ずかしがらないで声に出すようにしましょう」と連絡帳に書かれていたことを覚えています。
年齢を重ね、さすがにそういった幼稚なナイーブさ、内気は克服したつもりですが、今も状況によって声をかけそこねることがあります。
あの女性も、1時間に1本しかバスが来ない山間部のバス停だったらまたちがったでしょう。ハイキングの山道ですれちがうときには「こんにちは」とごく自然に声が出る。焼き鳥店ならアルコールの力も借り、隣り合った人とも話をします。
ただ、そんなおしゃべりをしていても、声にならないことば、表現できないことばが、自分の内に残る気がします。たぶん、心をすべて伝えることはできないのでしょう。それがなんとももどかしい時がある。
心がそのまま伝わるテレパシーの能力があったら便利だろうとは思います。ただ常に他人との完全なコミュニケーションが続く状態だったら、そのうちに心に浮かんだことが、自分の考えなのか、だれかから伝わってきたのかわからなくなり、「ひとりはみんな、みんなはひとり」といったとんでもない世界が出現し、「わたし」が消えていくかもしれません。
朝目覚め、夜眠るまで、時には夢の中でもわたしたちはさまざまなことを考え、思い、つぶやいて、蚕のようにことばを紡いでいますが、ほとんどは声にも文字にもなりません。それは消滅するのではなく、心のどこかで幾重にも積み重なっているのではないかとも思います。
そんなことばの土壌に根を張って、たぶん今の自分がある。うまく話せなかったとか、喉まででかかっていたのに言えなかったとか、そうしたもどかしさにも生きていくうえでの意味はあるのかもしれません。
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数年前にすれちがったひとりの中学生を時々思い出すことがあります。
交通量の多い国道にわき道からクルマで合流する時、車体を前に出しすぎたので、ちょっとバックしたら、ちょうど歩いてきた中学生が、わざわざ帽子をとって丁寧に頭を下げてくれました。その所作の爽やかな威厳にただただ恐縮しました。
それだけのささやかな出会いでしたが、幼さの残る小さな中学生が丁寧にお辞儀をする姿がなぜか妙に心に残っています。=朝日新聞2024年1月15日掲載