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村木嵐「まいまいつぶろ」 歴史小説の特異性を存分に

 「歴史小説の特異性ってなんなんでしょう?」

 仕事柄よく頂く質問だが、いつも対応に苦慮している。歴史小説は「過去に材を取る」小説であるから、作家の親世代の青春を描いた作品も歴史小説に分類しうる。しかし、歴史小説には言語化しがたい特異性があり、一般の方に説明する際に色々の骨折りを要するのである。しかし、そんな悩みを解決する快作が今、大いに読まれている。本作である。

 時は江戸時代中期、江戸町奉行の大岡忠相(ただすけ)が上臈(じょうろう)御年寄の滝乃井に呼ばれ、江戸城中奥を訪ねるところからこの物語は始まる。滝乃井はかつて八代将軍徳川吉宗の嫡男(ちゃくなん)、長福丸(後の家重)の乳母だったが、重い病で片手片足が動かず、言語不明瞭な長福丸の未来を憂えていた。そんなある日、長福丸の言葉を解する少年、大岡兵庫(後の忠光)を知り、長福丸の小姓に取り立てたいと忠相に相談したのだった。乗り気ではなかった忠相だったが、ともあれ、人品を測るべく、兵庫と顔を合わせることに。かくして、心優しい将軍徳川家重と、忠相に認められ家重の言葉を伝えることのみに徹した忠光の主従が伏魔殿・江戸城に立つ。

 本作は、家重と忠光によって善の側に引き込まれる人々を描いた物語である。ある者は忠光の忠義を疑い、またある者は家重の外見に失望し、またある者は家重の器を疑う。しかし、家重と忠光の確固たる善性によって相対する者の邪心が覆されて他の者に伝播(でんぱ)し、謀略の場である江戸城を、そして天下の様相をも塗り替えていく。

 裏を返せば、本作は家重・忠光主従の善性で支えられた物語といえるが、作中描写は勿論(もちろん)、過去に家重・忠光という麗しい主従が実在したという確固たる歴史的事実で担保する側面もある。本作は、過去に仮託して、人間の奥底にある剝(む)き出しの善性を描くことのできる歴史小説の特異性(の一つ)を利用した作品なのである。=朝日新聞2024年2月17日掲載

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 幻冬舎・1980円。18刷・7万部。昨年5月刊。「尊敬といたわりの関係が丁寧に描かれ、歴史小説ファン以外にも読まれている。読者層は30代~70代、女性の方がやや多い」と担当者。