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森見登美彦さん「シャーロック・ホームズの凱旋」 名探偵が京都で珍騒動「妄想が広がるのが楽しい」

「シャーロック・ホームズの凱旋」を出した作家の森見登美彦さん

 世界的な名探偵は深刻なスランプに陥っていた……ヴィクトリア朝の京都で。どういうことかと問いたくなるが、森見登美彦さんの新刊小説「シャーロック・ホームズの凱旋(がいせん)」(中央公論新社)はそんな場面に始まり、ホームズ譚(たん)でおなじみの面々が京都の街で珍騒動を巻き起こす。パスティーシュ(作風模倣)でも探偵小説でもなく、「森見劇場」としか呼べない不思議な幻想世界が展開する。

 原典のホームズ譚はヴィクトリア女王期の英国が主な舞台。本作では19世紀のロンドンが京都に置き換えられ、テムズ川は鴨川に、ホームズの下宿はベーカー街から寺町通221Bになっている。1年前の「赤毛連盟事件」の解決に大失敗して謎が解けなくなったホームズは、下宿に引きこもる日々を送っていた。

ミステリー?

 「ヴィクトリア朝京都はある日思いついた言葉なんです」と森見さん。子どものころからドラマも含めてホームズ譚に親しんできた。作家になってからもコナン・ドイルの原典を繰り返し読んでいるという。

 「ドイルが書いたのはホームズのロンドンであって、いわば偽ロンドン。でも行間に本当のロンドンを感じさせるのがうまい。僕が書いてきた京都も偽京都なわけで、シンパシーを覚えて。ミステリーは書けないけど、魅力的な登場人物たちを偽京都で動かすことならできるかなと思った」

 なるほど主要人物総出演の感がある。相棒ワトソンはスランプ脱出のために奔走、宿敵モリアーティ教授を頼みにするが、彼もまたスランプに陥り、百万遍の東にある大学の研究所にこもったまま。レストレード警部も役に立たない。

 男性陣総崩れのなか、躍動するのが原典では端役だった女性陣だ。「詳しく書かれていない分、想像を膨らませる余地がありましたね」

読み手も幻惑

 ホームズに代わって洛中洛外の事件の解決に名乗りをあげたのはアイリーン・アドラー。原典の「ボヘミアの醜聞」でホームズを出し抜いた女性は、ワトソンの妻メアリとコンビを組んで探偵活動を始める。悩むワトソンを鼓舞するのは下宿の家主ハドソン夫人だ。

 加えて当時隆盛を極めた心霊主義の女性霊媒も登場し、「名探偵の不在」のなか、12年前に令嬢が失踪した嵐山のマスグレーヴ家で新たな事件が起きる。屋敷にある部屋「東の東の間」を巡る不可思議な謎に、登場人物のみならず、読み手もまた幻惑されるはずだ。

 「何か解き明かせない変なものが小説の真ん中にあって、何なんだろうと追い求める話をついつい書きたくなるんです。僕自身がスランプ気味になると特に」。確かに「夜行」(2016年)の連作銅版画や「熱帯」(18年)の「幻の本」も、変なものだった。

 「カフカの『城』で、城に行きたいのにたどり着けないような感じです。結局、空洞のようなものをぐるぐる回ることで妄想が広がっていくのが楽しい。でもそれがエンタメになっているのかどうか。読者に、特にホームズファンに、どう読まれるのか心配です」(野波健祐)=朝日新聞2024年2月21日掲載