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「アガサ・クリスティー」書評 慎重に語り直された作家の一生

評者: 山内マリコ / 朝⽇新聞掲載:2024年02月24日
アガサ・クリスティー とらえどころのないミステリの女王 著者:ルーシー・ワースリー 出版社:原書房 ジャンル:小説

ISBN: 9784562073627
発売⽇: 2023/12/19
サイズ: 20cm/469p 図版16p

「アガサ・クリスティー」 [著]ルーシー・ワースリー

 時代を超越した、破格のベストセラー作家。生まれ年をあえて元号で記すと、明治二十三年。アガサ・クリスティーは、ヴィクトリア朝のイギリスを生きた人だ。伝記は、お姫様のようなドレスを纏(まと)った幼少期の写真からはじまる。
 良家の子女らしく、将来は条件のいい結婚だけを望まれた。立派な邸宅で使用人に囲まれ、「大ざっぱな教育」を受けて育つ。成人する頃に大英帝国の絶頂期も終焉(しゅうえん)を迎え、時代はそこから急速に動きだした。
 第一次世界大戦が勃発すると男たちは戦場へ、ポストが空いたことで女たちが外で働きはじめる。アガサもまた病院で看護奉仕に励んだ。床掃除をし、医者から無礼な扱いを受け、薬剤師の助手となる試験勉強もした。今も残るノートには、毒薬の一覧表が。
 この専門知識はデビュー作『スタイルズ荘の怪事件』のトリックでも遺憾なく発揮され、アガサは一躍有名作家となる。才能でお金を稼ぎ、自分で車を運転する、二十世紀の女だ。
 一九七六年に八十五歳で幕を下ろした彼女の人生は、世界の歴史上はじめて女性が解放されていった、二十世紀を映す。しかしこれまでは、主に男性的な視点で物されてきた。
 その結果、とりわけ大スキャンダルとなった有名な失踪事件は、不倫した夫を困らせるために、故意でやったことだと広められてしまう。ミステリーの女王といえど、二十世紀はまだまだ、女の証言は信じてもらえなかった。
 だからこそ著者はアガサの発言を掘り起こし、信じ、彼女の側に立って、今こそ真実を明かそうと試みる。非常に慎重に、とても二〇二〇年代的な筆致で、アガサ・クリスティーの一生を語り直していく。
 海外文学の新訳が出るように、伝記もまた、時代に合わせて新しく書かれるべきだと強く思った。その人生を、生きた本人も気づかなかった功績は、新たに称(たた)えられるべきなのだ。
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Lucy Worsley 英「ヒストリック・ロイヤル・パレス」主席学芸員。BBC歴史教養番組プレゼンター。