8日に発表された漫画家の鳥山明さんの死去を受け、鳥山さんの事務所や親交のある漫画家らがコメントを発表した。
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◆鳥山さんの事務所「バード・スタジオ」と「カプセルコーポレーション・トーキョー」
突然のご報告になりますが、漫画家・鳥山明は2024年3月1日、急性硬膜下血腫により永眠しました。68歳でした。
熱心に取り掛かっていた仕事もたくさんあり、まだまだ成し遂げたいこともあったはずで、残念でなりません。
ただ、故人は漫画家としていくつもの作品を世に残して参りました。
多くの世界中の方々に支持していただき、45年以上にわたる創作活動を続けることができました。
これからも鳥山明唯一無二の作品世界が、末長く皆様に愛され続けることを切に願います。
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■「ドラゴンクエストの歴史、鳥山さんのキャラデザインとともに」
◆堀井雄二さん(「ドラゴンクエスト」シリーズのゲームデザイナー)
本当に、あまりに突然な鳥山さんの訃報(ふほう)で、まだ信じられない気持ちでいっぱいです。
鳥山さんとは、ボクが少年ジャンプのライターをやっていた頃からの知り合いで、担当編集者の鳥嶋(和彦)さんの勧めもあり、ドラゴンクエストを立ち上げる時に、彼にゲームの絵を頼むことにしました。
あれから37年余り、登場人物のキャラクターデザイン、モンスターデザイン、とても数えきれないほどの魅力的なキャラを描いていただきました。
ドラゴンクエストの歴史は、鳥山さんのキャラデザインとともにありました。
鳥山さん、故すぎやま(こういち、ドラゴンクエストの音楽を担当)先生は、ドラゴンクエストを長きに渡って作ってきた仲間でした。
亡くなってしまうなんて……。
これ以上、なんて言えばいいのか言葉になりません。本当に、本当に、残念です。
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■「面白い人だった。可愛くて、毒舌で」
◆「ウイングマン」「I’’s」などの作者の漫画家桂正和さん
力がぬけて気力が出ません。こんな事のコメントはしたくないですね。
けど、何か書きます。書き出したら、言いたい事だらけなんで、めちゃくちゃ長文になりそうだけど、できるだけ、コンパクトにまとめます。ただ、気持ちがまとまらないので、乱文お許しを。
思い返しても。大袈裟(おおげさ)でなく、お宅に遊びに行った時、うちに泊まりに来てもらった時、遊びに出掛けた時、全部が楽しい思い出しかなくて、電話をする度に、疲れるほど笑ってました。
面白い人だった。すけべで、可愛くて、毒舌で、謙虚で。本職の漫画では、合作とかもしたけど、あれも楽しかった。でも、99%漫画の話をした事はない付き合いでしたね。
漫画家として、見てる風景、作家のレベルも違いすぎて、偉大さを意識した事が無かったです。わかってはいます。けど、本人と接する時は微塵(みじん)もそれは感じなかった。人柄ですね。だから偉大な漫画家というより、今も友人としてとしか考えられない。
去年の夏、私が手術をする前に、どこかで聞いたらしく、メールくれました。
本当――に、メールなんて珍しく、心配そうに私の体を気遣う内容。
40年来の付き合いだけど、鳥山さんから、あんなに優しくされたのは初めてだったかも。雪が降るかと思いましたよ。いつもは冗談か、くだらない話しかしないっすからね。なんすか、人の心配してる場合じゃないじゃん、全く。
そのちょっと前だったか電話した時、その頃、色々具合が悪かった私は「多分先に逝くんで、お別れ会とかやってくださいね、鳥山さん仕切りで!あと、箔(はく)がつくからスピーチして下さいね!」と約束したのに、守ってもらえなかった。
メールをくれた後、なんで電話しなかったのか、それが、すごく後悔です。
もうくだらない話で長電話ができない事が、残念でしかたないです。
話したい事が沢山(たくさん)溜(た)まってます。いろんな話があるんです。興味のない話は、いつものように、うわの空に聞いてもらってもいいんで、もう一度話したいです。
私の、また連絡くださいとのメールの返事に、軽くOKって書いてあったのが最後なんて、ダメです。心底辛(つら)いです。
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■「空いた穴があまりに大きすぎます」
◆「ONE PIECE」の作者の漫画家尾田栄一郎さん
あまりに早すぎます。
空いた穴があまりに大きすぎます。もう二度と会えないと思うと、悲しみが押し寄せてきます。
子供の頃から憧れすぎていて初めて名前呼んで貰(もら)えた日の事も覚えています。我々に「友達」という言葉を使ってくれた日の帰り道
岸本さんと盛大にはしゃいだ日も懐かしいです。最後に交わした会話も覚えています。
漫画なんて読むとバカになるという時代からバトンを受け取り大人も子供も漫画を読んで楽しむという時代を作った一人でもあり
漫画ってこんな事もできるんだ
世界に行けるんだ、という夢を見せてくれました。
突き進むヒーローを見ているようでした。
漫画家に限らずあらゆる業界で活躍するクリエイター達の少年時代に
ドラゴンボール連載当時の興奮と感動が根付いているでしょう。
その存在は、大樹です。
同じ舞台に立った僕ら世代の漫画家にとって
鳥山作品は近づく程により大きな存在と気づかされました。
怖いくらいに。
でもまた、飄々(ひょうひょう)としたご本人に会えるとただ嬉(うれ)しい。
僕らは血液レベルで鳥山先生が大好きだから。
鳥山先生の残された創造性豊かな世界に敬意と感謝を込めて、心よりご冥福をお祈りいたします。
天国が先生の想(おも)い描いた通りの愉快な世界でありますように。
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■「先生はいつも僕の指針。憧れでした」
◆「NARUTO]の作者の漫画家岸本斉史(まさし)さん
突然のことで何をどう書けばよいのか正直わかりません。
ただ今は鳥山先生にいつか聞いて欲しかった事、想(おも)いをお伝えさせて頂きたく思います。
小学生低学年でDr.スランプ、高学年でドラゴンボールとずっと先生の漫画と一緒に育ち、生活の一部で先生の漫画が隣にあるのが当たり前でした。
嫌なことがあっても毎週のドラゴンボールがそれを忘れさせてくれました。何もなかった田舎少年の僕にとってそれは救いでした。
本当にドラゴンボールが楽しすぎたからです!
大学生のときです。突然、僕の生活に長年当たり前にあったそのドラゴンボールが終わりました。
とてつもない喪失感に襲われ何を楽しみにすればいいのか分からなくなりました。
でもそれは同時にドラゴンボールを生み出してくれた先生の偉大さを心から知る事ができるきっかけでもありました。
僕も先生のような作品を作りたい!
先生のようになりたい!
と、先生の後を追いかけるように漫画家を目指すうちにその喪失感もなくなっていきました。
漫画作りが楽しかったからです。
先生を追いかける事で新しい楽しみを見つける事が出来ました。
先生はいつも僕の指針でした。
憧れでした。
先生にはご迷惑かもしれませんが勝手に感謝しています。
僕にとってはまさに救いの神であり、漫画の神様でした。
初めてお会いした時、緊張し過ぎて一言も喋(しゃべ)れませんでした。
ですが手塚賞の審査会で何度もお会いするうち話せるようになりました。
ドラゴンボールチルドレンとして尾田さんと2人して子供に戻りまるで競争するかのようにいかにドラゴンボールが面白かったのかをはしゃいで話した時、まんざらでもない様子で少し恥ずかしそうな笑顔をされていたのが忘れられません。
今、先生のご訃報を受けたばかりです。
ドラゴンボールが終わった時以上のとてつもない喪失感に襲われ…
まだこの心の穴にどう対処すればよいのか分かりません。
今は大好きなドラゴンボールも読めません。
先生へお伝えしたいこの文章もまともに書けている気がしません。
世界中の皆んながまだまだ先生の作品を楽しみにしていました。
もし本当にドラゴンボールの願いが1つ叶(かな)うなら…すみません…
それはわがままな事なのかもしれませんが、悲しいです先生。
鳥山明先生、45年もの間たくさんの楽しい作品をありがとうございました。
そして本当にお疲れ様でした。
残された家族のみなさまにおかれましては今はまだ深くご傷心のことと思われます。
ご自愛くださいませ。
鳥山明先生の安らかな眠りをお祈り申し上げます。
朝日新聞デジタル2024年03月08日掲載