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「ハリケーンの季節」書評 人間の生を規定し翻弄するもの

評者: 小澤英実 / 朝⽇新聞掲載:2024年03月09日
ハリケーンの季節 著者:宇野 和美 出版社:早川書房 ジャンル:欧米の小説・文学

ISBN: 9784152102904
発売⽇: 2023/12/20
サイズ: 20cm/250p

「ハリケーンの季節」 [著]フェルナンダ・メルチョール

 日本で名の知られたラテンアメリカ文学の作家といえば、マルケスやリョサなど男性ばかり。本作は、近年マリアーナ・エンリケスなど少しずつ紹介され出した女性作家の作品のひとつ。文学的伝統をたしかに受け継ぎつつ語り直された新しい声、その豊かさに、読後じわじわと感動した。
 感動、などというと大きな誤解を招くかもしれない。本作の性と暴力の描写は、昨今なら前書きに注意喚起があってもおかしくないほどむごく救いがない。メキシコ・ベラクルス州の架空の土地ラ・マトサで、魔女と呼ばれる女の惨殺死体が発見される。大枠は殺人事件の過程を追うクライムノベル、だが様々な関係者の視点で事件前後の日々を繰り返し語る各章が、ハリケーンのような激しい力で読者を攫(さら)い、登場人物が囚(とら)われている逃げ場のない時空に連れ去っていく。
 村の住人はみな、世代間で繰り返される犯罪と貧困の連鎖から抜け出すことができない。出産や中絶を10代半ばで経験し、男に人生を狂わされる女達(たち)、マチズモの呪いで自滅していく男達。女も男も性を売り、金は稼いだはしから酒や麻薬に消えていく。そのどん詰まりの土地では、青年が故郷を出て大人になるような成長物語を夢見ることも、ポストモダン的な「出口なし」状況を悲観することもできない。死ぬことでしか逃れられない、醒めない悪夢の生き地獄なのだ。
 魔女がトランスジェンダーの女性らしいというひねりが現代的だ。人間の生を規定し翻弄(ほんろう)する性は本作の屋台骨だが、女性の苦労や悲哀ばかりを語るのではなく、人が誰しも異性愛と家父長制に抑圧され、また動物的本能と性の奴隷でもあることを暴く作者のフェアな視線がとてもいい。
 その時その場所でしか生まれえない特異な物語ながら、例えばフォークナーや中上健次、川上未映子などとも響きあう。世界文学とはこういうことかと実感させてくれた本だった。
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Fernanda Melchor 1982年生まれ。メキシコの小説家、ジャーナリスト。本書は各国で翻訳されている。