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鴻巣友季子の文学潮流(第12回) イレネ・バジェホ「パピルスのなかの永遠」に導かれ、詩と詩が歩んできた道のりについて考える

©GettyImages

物語は「詩」として始まった

 この3年ほどかけて、アマンダ・ゴーマンという若い黒人女性の詩人による第1詩集『わたしたちの担うもの』を呻吟しつつ翻訳してきた。コロナなどの疫禍や、戦争や、災害で失われ損なわれたものの甚大さと、そこからの希望と再生が、斬新なスタイルで綴られている。今月は詩と詩が歩んできた道のりについて考えたい。

 先日の国際女性デーにスペインの文献家イレネ・バジェホと、彼女の世界的ベストセラー『パピルスのなかの永遠』(見田悠子訳、作品社)をめぐる公開対談を行った。バジェホは西洋の物語と文字と書物の歴史を語るこの壮大なエッセイ集を数年前に刊行してから世界で名を知られるようになった。

 西洋の物語は韻文という「詩」として始まった。韻文とは押韻、韻律、行立てなどの定型をもつ文章形式で、日本の俳句や短歌も韻文だ。でも、現在の欧米そして日本でも、文学作品の多くは散文で書かれている。散文は定型を持たない文章形式で、小説やエッセイのほとんどがこれに当たるし(最近は詩のように書かれる小説も盛んだが)、戯曲にしても、先月紹介したフォッセのように詩に近い書き方もあるが、現代劇では散文形式が多い。詩にももちろん散文詩というものがある。

 物語はいつ、なぜ、どのようにして韻文から散文に向かっていったのか? 現在、散文、おもに小説がこんなにいばっているのはなぜか? ということを、長らく考えている。それは私たちの共感大好き・寂しんぼ症候群とおそらく深く結びついているからだ(「共感と孤独」についてはこちら)。

ヘシオドスにみる近代の萌芽

 日本の『古事記』にしてもそうだが、西洋で最古期の書き物は過去のできごとを記録するクロニクルだった。とはいえ、私的な回想録ではない。国や共同体にかかわること、神や王や英雄の偉業やたまには悪事という「大事」が壮麗な文体で綴られた。

 文学の中心はそういう韻文の叙事詩から、長い長い歳月を経て、どこのだれでもない個人の「小事」(パスタを茹ですぎたとか、猫が失踪したとか)を書く散文の小説やエッセイに移ってきた。

 『パピルスのなかの永遠』では、おもに古代ギリシャ・ローマの書物について語られる。楔形文字で書かれた「ギルガメッシュ叙事詩」から何千年、ソクラテスの時代にはアルファベットはとっくにあったが、彼はそのツールを使いたがらなかった。記憶された詩の口承こそが本物であり、文字による記録など頭脳を「外付け」にするようなものだと。文字を書くのはある時期まで二流の書き手の所業とみなされていたと、バジェホは指摘する。

 ところが、フェニキア文字からギリシャ人が作ったアルファベットというこの文字体系が、20世紀に登場したインターネットを凌ぐメディア革命を起こすことになるのだ。たとえば、「文字文学の祖」とされるヘシオドスの紀元前8世紀頃の詩にはものすごく新しいことが起きたという。「私小説(オートフィクション)」の要素だ。

 それまでの叙事詩には基本的に「私」がなかった。作品の最初や最後に出てくる語り手としては存在したが、それは物語の枠外の存在で、お話自体は三人称で語られた。語る内容は神々や王さまや英雄の偉業ときには悪事など、おもに過去の出来事。これを壮麗な文体で謳いあげるのに対し、ヘシオドスは遺産争いなどの下世話な私事や、日常のよしなしごとや、その愚痴などを書き綴った。ヨーロッパ初の「個人」でありフィクション作家でもあると言う。ここに”近代”の萌芽があり、孤独の種子があるのではないか。

 さて、重要なのは、記録ツールである文字の発達で記憶する必要がなくなったということだ。そもそも叙事詩が韻文に始まったのは、一つにライムやリズムが暗記の手助けとなったから。しかしアルファベットが幾星霜を経て浸透し、声の世界が後退していった頃、ギリシャ人たちはハタと気づく。

 自分はいつも散文の形で話しているんだし、物語の語り手や人物もみんな武張ったヘクサメトロス(古代ギリシャで叙事詩に使われていた詩形)でしゃべらなくてもいいんじゃないの……?と。

 日本語で言えば、つねに七五調でしゃべる人はいないわけで、それに気づいたことで、近代小説へとつながる散文の歴史がスタートしたのだ。

 バジェホいわく、アルファベットがゆっくり広まっていったこの時期に到来するのが「抒情詩の大時代」で、そうした詩は「身近な日々のうねりを語り、経験した感覚をしっかりとつかんで」いた。物語が叙事(出来事)から抒情(気持ち)へ移っていく端緒であり、この個人的で感情的な書き物を、氏はいみじくも「今、ここ、私」の文芸と表現している。

 あまりに簡潔にして鮮やかな指摘。この三要素こそが、近現代に発達していくnovel(小説)という文芸の特徴であり神髄となるものに違いない。

女性詩人が輩出したロシア銀の時代

 もう一つ、バジェホが本書を通じて主張しているのは、女性の書き手の声が封じられてきたことだ。ギリシャで名を残す女性詩人はサッポーのみであり、古代ローマ時代には女性詩人たちが活動するが、書くのを許されるのは私的生活に関連するジャンルや「マイナーな分野」だけだった。抒情詩、哀歌、書簡、回想録……。この傾向は少なくとも20世紀までつづいたのではないか。

 高柳聡子『埃だらけのすももを売ればよい ロシア銀の時代の女性詩人たち』(書肆侃侃房)は、1890年代から1920年代にかけての「銀の時代」に活躍したロシアの女性詩人15人を紹介する貴重な一冊だ。
 
 この時代には女性の解放運動や教育向上もあり、多くの女性詩人が輩出したと言う。タイトルは第1章で紹介されるアデリーナ・アダーリスの詩「日々」からとっている。ロシア革命後の国内戦のなかで書かれたこの「叙事詩」のプロローグを引く。

  埃だらけのすももが あちこちの広場で
  二束三文で売られていたとしても
  賢き者も幸せなる者も 地上に囚われ
  ごくささやかなこの恵みを受けとる言葉も知らぬ
  富める都会の者らの空虚な園で
  彫像も水の流れも 黄昏ていったとしても
  異国からの恵みを受けとめるための
  分別ある言葉を 私は決して見つけられまい

 1920年頃のロシアの女性詩人が書いた叙事詩は、ホメロスのそれとは違い、アカイア軍が怒涛のように攻め入ることも、アポロンの銀弓が唸ることもない。そこには、埃だらけのすももがある。

 彼女がいるのはフランスの公爵の庭園。この詩の魅力は「時間や空間の二元性にある」と高柳は言う。「埃だらけのすもも」は生の実感のようなものだろうか。かたや異国の樹木が繁り彫像が並ぶ庭園は、彼岸の写し絵、現し世を離れた仙境を思わせるなにかか。その異国的なるものは、生と死の間の暗いらせん階段を歩きつづけたラフカディオ・ハーンの言う「明るい死」なども私に思わせた。アダーリスは「ダーリ(彼方)」という語をこの詩のなかで幾度も使っていると言う。

 1921年に初詩集が出たマリア・シカプスカヤの詩は、高柳が指摘するとおり、現在のフェミニズム詩と見紛う作品だ。そこに書かれたのは、初めての性行為、月経や中絶の痛みという極私的なこと。象徴派重鎮のある男性詩人は「これは詩というよりは私的な日記のページ」だと否定したと言う。

  そう、それが必要だった……
  獰猛なハルピュイアどものための餌があった
  そして体はゆっくりと力を失っていき
  クロロホルムが気を鎮め、寝かしつけた

 これは中絶の経験を綴った詩だ。ある意味、20世紀にシルヴィア・プラスが妊婦たちの後悔と恐怖を語った「三人の女」(一人は中絶を受ける)や、アニー・エルノーが違法堕胎を描いた「事件」の文学的祖先とも言えるだろう。

翻訳の極意感じる

 最後に、ペルシャの詩人オマル・ハイヤーム『ルバイヤート』(高遠弘美訳、国書刊行会)の新訳に触れたい。フランツ・トゥーサンよるフランス語版からの重訳だが、この仏訳のなにが画期的かというと、ルバイヤート(四行詩)の韻文を散文に翻訳している点なのだ。

 『ルバイヤート』を近代に知らしめたのは、イギリスのエドワード・フィッツジェラルド。日本語訳の多くはこの英訳からの重訳で、韻文調のものが多い。英訳のもつ古雅な雰囲気に影響されて、漢語古語にも通じた文人たちによる典雅な訳文ができあがったのではないかと、高遠は分析している。名高い韻文調の訳文の一つを引く。

  「如何なれば」とも知らず、この天地(あめつち)に
  「何処より」とも知らず、諾否(うむ)なく流れ、
  その外へ、あれ野行く風のごとくに、
  「何処へ」とわれ知らず、諾否なく吹けり。(竹友藻風訳、1921年)

 では、底本が変わったら、その訳文はどんな変貌を遂げるだろうか? 上記の詩に該当する詩はトゥーサンの散文訳にはないそうだが、通底する要素をもつ第59歌の高遠訳を引こう。

  おれが生まれたからと言つて
  微塵もこの世の得にはならなかつた
  おれが死んだからとて
  この世の宏大さや輝(かがよ)へる光が減じることなどあるはずもない
  どうしておれがこの世に来たか
  なにゆゑおれは去らねばならぬのか
  教へてくれた者は誰もゐない
  さう、ただのひとりも

 見た目からしてずいぶん違うが、「おれ」という主語が訳されている点にも注目したい。定型詩の翻訳の手法にはものすごく大まかに言うと、2種類ある。形態的な等価を目指すものと、機能的な等価を目指すものだ。言い換えれば、原文の形を模するのか、意を解くのか。後者はダイナミック(動的)トランスレーションなどとも呼ばれ、トゥーサンと高遠弘美が選んだのはこちらの方法だ。

 韻文調の日本語訳は雅やかで流麗だ。一方、散文訳の伸びやかなこと、拡がりゆくこと。漢語の要素とやまとことばの柔らかさを、ルビを駆使して融合させた、上田敏の時代以来の翻訳妙技を結晶させつつ、「ルバイヤート」の理解に新次元を切り拓くものと感じた。翻訳学者アントワーヌ・ベルマンの名言、「完成したテクストのなかで依然として生成途上にある地帯を洞(つらぬ)き察(み)る」のが翻訳の極意だという言葉の鮮やかな体現である。