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「うらはぐさ風土記」書評 移りゆく時代 変えがたい風景

評者: 吉田伸子 / 朝⽇新聞掲載:2024年04月06日
うらはぐさ風土記 著者:中島 京子 出版社:集英社 ジャンル:文芸作品

ISBN: 9784087718591
発売⽇: 2024/03/05
サイズ: 13.1×18.8cm/280p

「うらはぐさ風土記」 [著]中島京子

 私が上京して、一人暮らしを始めたのは中野だった。北口にある中野サンプラザは、「ザ・都会」のように映った。あれから四十数年、中野サンプラザは昨年閉館となり、跡地は再開発が予定されている。
 本書の主人公・田ノ岡沙希は、離婚を機に滞米生活に終止符を打ち、2年前まで伯父が暮らしていた一軒家に移り住むことに。土地の人から「うらはぐさ」という古い地名で呼ばれるその界隈(かいわい)は、沙希にとって大学時代を過ごした場所にほど近い住宅地である。秋から母校で教員となる沙希は、その家で、30年ぶりの東京暮らしをスタートさせる。
 「うらはぐさ」での沙希の日々にかかわってくるのは、伯父の友人であり、空き家状態だった間も庭の手入れを続けてくれていた76歳の秋葉原さんと、妻の真弓さん。沙希の勤める大学の学生で、敬語の使い方が壊滅的にへんてこなマーシーと、彼女の親友で陸上部のエースであるパティ。それと、地元の商店街である、あけび野商店街(秋葉原さんの家である「丸秋〈まるあき〉足袋店」も、そこにある)。
 読んでいるうちに、「うらはぐさ」と、そこにまつわる人々が、どんどんどんどん好きになる。沙希が学生だった当時とは面変わりしているあけび野商店街だが、変わらない店(「丸秋足袋店」や焼き鳥屋「布袋」)もある。その、懐かしい空気が、風景が、しみじみと心に沁(し)みる。
 再開発の波は、あけび野商店街にも及んでくるのだが、その波にきちんと向き合うみんなの姿勢もいい。再開発の件を、施設にいる認知症の伯父に沙希が話すくだりで、伯父が口にした「いいもんにあれしなさい」という言葉が、優しいおまじないのように、本書を包み込んでいる。
 「うらはぐさ」とはイネ科の植物「風知草(ふうちそう)」のこと。花言葉は「未来」。その花言葉に支えられるようにして、本書はある。愛(いと)おしい物語だ。
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なかじま・きょうこ 1964年生まれ。小説家。『小さいおうち』で直木賞、『やさしい猫』で吉川英治文学賞など受賞。