「文字は水であり米である」。学生時代に聞いた書体デザイナーの言葉で、この道に引き込まれた。
「田」は、6本の直線で囲まれた四つの空間の左上をいちばん狭く、右下をいちばん広くすることで自然なバランスをとる。1、2画目の縦線は、下に向かうに従って太くする。右上の角に突き出る「ウロコ」の角度や大きさを追求する。
同じ太さ、同じ間隔で線を引いても、人間の目にはどれかが細く、どこかが狭く見える。ときに0・05ミリレベルの修正を重ねていく。
「わずかな違和感は一瞬でわかる。勝手に手が動きます」。その工夫に「読んでいる人は気づかないのがいい文字です」。
美大を卒業後、写植機メーカーの写研で書体デザイナーとして働いた。その後、先輩と会社を立ち上げ、游明朝体をはじめ100を超える書体設計に関わってきた。長年の功績が評価され、今年の吉川英治文化賞に決まった。
水や米のように欠かせないものなのに、書体デザインの技法を詳細に伝える解説書がない。だから、自分で残すことにした。「この本にそれぞれが肉付けしていってくれたらいい。最初の一冊として作りました」
かつてグラフィックデザイナーの先輩から「70歳にならないと本当の明朝体は作れない」と言われた。「書体には人生の経験が出る。出ないとおもしろくないよね」。歴史を学び、知識が増えると、美しいと感じる書体の幅も広がっていった。
本書では、他のメーカーが作った書体を批評し、自身が手がけたものに反省もする。游明朝体にも、いまはもう満足していない。「きれいすぎるというか、品が良すぎるというか。『水清ければ魚(うお)棲(す)まず』と言うけれど、ここに魚はすんでないんじゃないかなって」。過去ではなく、いま作るものがいちばんいい。続けてきた人の自負は、格好良い。(文・田中瞳子 写真・鬼室黎)=朝日新聞2024年4月6日掲載