ニューヨーク在住の作家、青木冨貴子さんが亡き夫ピート・ハミルさんと歩いた人生をつづった。「アローン・アゲイン 最愛の夫ピート・ハミルをなくして」(新潮社)。ふたりで生きてきて今、再びひとりで生きていく。
ピートさんは反戦を訴えるジャーナリスト、名コラムニスト、ニューヨーク・ポスト紙などの編集長だった。映画「幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ」原作者としても知られる。2020年に85歳で亡くなった。
「強く、情熱があり、若い人を育てるのが好きで、多くの人に慕われました。亡くなった後は何を見ても彼を思い出し、何か書いて形に残したいと思った」
青木さんは「ライカでグッドバイ――カメラマン沢田教一が撃たれた日」などの代表作がある。今作は1980年代からアメリカでジャーナリストとして仕事と人生をともにしたふたりの物語だ。
青木さんは84年、ピートさん初来日のインタビューをした。「ゆっくりわかりやすい英語で話してくれた。相手の言うことをよく聞き、受け入れてくれる人だと」。運命の出会いだった。
その直後、ニューズウィーク日本版創刊にあたり、青木さんはニューヨーク支局の立ち上げのために赴任。愛を実らせ、87年に結婚した。
ふたりは忙しく働いた。ピートさんは週3回コラムを担当していたこともある。青木さんの仕事も深夜に及んだ。
2001年9月11日のアメリカ同時多発テロもふたりで目撃した。ニュースを追いかけ、記事を書き、メキシコなど各地への旅をともにしてきたふたり。
ピートさんは60代で糖尿病に。しばらく後には急性腎障害で緊急入院し、命の危機にさらされた。覚悟してくれと医者にいわれても、眠る夫に青木さんは「ハニー、ウェークアップ!」と呼びかけ続けた。病状や薬について納得するまで調べた。「医者まかせにしないで、自分で状態を把握すること。自分で考えること」
その時は退院にこぎつけたが、人工透析となり、弱っていった。そして、永遠の別れ。
なぜ、あんなことをしたのか、こうできなかったのか。青木さんは後悔した。ふたりでもっとこんなことをしたかったという思いもある。いつもいた人がいない。なんと深い悲しみか。「一生、この悲しみを抱えて生きていくんですね」
本ができあがり、何かふっきれたと青木さんはいう。「パートナーを亡くした人は書いてみてほしい。出会いから、ともにしたこと、闘病の日々。ひとつひとつ書いていくと、最後に見えてくるものがあるはず」
そして、アローン・アゲイン。ひとりだということに向き合わないといけない。ひとりで生まれてきて、出会って、そしてひとりで死んでいく。その覚悟と、ともに過ごした大切な人への感謝と愛がにじむ一冊である。(河合真美江)=朝日新聞2024年5月1日掲載