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「実存主義者のカフェにて」書評 「人生と哲学はひとつ」の群像劇

評者: 野矢茂樹 / 朝⽇新聞掲載:2024年05月04日
実存主義者のカフェにて――自由と存在とアプリコットカクテルを 著者:サラ・ベイクウェル 出版社:紀伊國屋書店 ジャンル:ジャンル別

ISBN: 9784314012041
発売⽇: 2024/03/29
サイズ: 13.8×19.5cm/592p

「実存主義者のカフェにて」 [著]サラ・ベイクウェル

 実存主義という言葉に近寄りがたく感じる人も多いかもしれない。サルトルには興味ないな、という人も。それだけの理由でこの本を手に取らないのはもったいない。
 この本は、たんなる哲学の解説本でも哲学者の伝記でもない。「わが人生とわが哲学はひとつであり、同じものだ」。サルトルは日記にそう書いた。そしてまた、本書の魅力はむしろ群像劇たるところにある。フランスではボーヴォワール、メルロ=ポンティ、カミュ、ドイツではフッサール、ハイデガー、ヤスパース、こう列挙してもまだ足りない豪華キャスト。
 彼らの人生の真ん中に第二次世界大戦があり、それはまさに激動の時代だった。ドイツではナチスが台頭し、ハイデガーはナチスに加担した。一方、パリはナチスに占領される。哲学と生き方が一体となった哲学者たちのドラマが展開する。
 当時の人々は、実存主義を徹底的に人間を自由な存在として捉える思想として受け止めた。過去のいっさいのくびきから解放されること。私たちを抑圧する権力を覆すこと。そしてサルトルは時代の寵児(スター)となった。
 「こんなにも哲学の熱い時代があったのかと、わたしは本書を訳しながらめまいのような感覚に襲われた」と、訳者の向井さんは述懐する。まったく同感である。思わず訳者の言葉を借りてしまったが、実は、訳者あとがきがよすぎて、これを超える書評は書けないと思わされたほどだった。フッサールの原稿を戦火から守るべく安全な場所へ運ぶエピソードに向井さんは、「まるで映画を観(み)ているようでハラハラさせられた」と言う。そうなんだよ、もうね、全編が映画になるんじゃないかと思うほどだ。
 しかし、祭はやがて終わる。サルトルの人気も翳(かげ)りを見せ、実存主義ももてはやされなくなる。いまでは哲学は大学や書斎の中に行儀よく納まっているように見える。本書を閉じたとき、私は一抹の寂寥(せきりょう)感に囚(とら)われた。
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Sarah Bakewell 作家。英国生まれ。「How to Live: or a life of Montaigne」(未邦訳)で全米批評家協会賞。