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森村泰昌さん「生き延びるために芸術は必要か」インタビュー 「勇ましさ」からの卒業

森村泰昌さん

 芸術は必要か? コロナ禍のさなか、至るところで繰り返された問いだ。

 「タイトルを聞くと皆、『必要です』と言ってくれるけど」。当の美術家は、その議論をいったんけむにまく。「必要か不要かという問いは芸術には当てはまらない。問い自体が無意味なんです」

 ゴッホにマリリン・モンロー、三島由紀夫。名画の人物や著名人に扮するセルフポートレートを撮り続けてきたのは、自身のアイデンティティーの空白を埋める営みだった。「それって必要かどうかじゃなく、やらんとしゃあないわけでしょ」。芸術の本質は革命でも社会貢献でもなく「私事」だと考える。「誰かが見て何か感じることはあっても、そこが目的じゃない。花は別に人を感動させようと咲いてるわけじゃないので」

 小説や映画、芸術家の逸話を通して「生き延びること」に向き合う思索は、《生き延びるためには、勇ましくあってはならない》というつぶやきに帰結する。「生き延びるために闘って勝ち取る。その勇ましさが問題では」。差別や迫害に直面していない者の甘さと言われるかもしれない。「でも芸術は、勝敗からこぼれ落ちたものの唯一のよりどころのはずなんやけどな」

 「生きようと私は思った」という一文で終わる三島由紀夫の小説「金閣寺」で、主人公は金閣寺に火を放つ。本書の「おわりに」では空き家となった自身の実家をめぐり、「三島からの卒業」としてのあるビジョンを示した。それは、クーデター未遂の果てに割腹自殺した三島が象徴する「勇ましさゆえに生き延びられない不幸」を回避するための、ひとつの提案だ。

 切実な私事に向き合っていると、社会や歴史の中の「生き延びられなかったもの」が見えてくる。「相手がどう思うかは関係ない、自分なりのまなざしです」。ただ、そんな芸術は時折、悲しみに小さな光をもたらすこともある。

 「生き延びるために芸術は必要か」という問いにはこう返す。《生き延びるために芸術が必要なのではない。生き延びることができないもののために芸術は必要なのだ》(田中ゑれ奈)=朝日新聞2024年5月18日掲載