摂津・播磨・但馬・丹波・淡路。5国が合わさった兵庫県は「日本の縮図」と呼ばれている。歴史も風土も、もしかしたら経済も、だ。
日本海側から行くと、まずは志賀直哉『城の崎にて』(1917年/新潮文庫など)。〈山の手線の電車に跳ね飛ばされて怪我(けが)をした、その後養生に、一人で但馬の城崎温泉へ出掛けた〉で始まる短編は、死を意識した語り手が死にゆく小動物を凝視した作品で、必ずしも旅情豊かな旅文学ではない。それでも直哉がまいた文学の種は今日の城崎温泉(豊岡市)に受け継がれた。城崎は文学散歩ができる町なのだ。
関西の富裕層を描いた長編も兵庫県ならではの作品といえる。
谷崎潤一郎『細雪(ささめゆき)』(1946~48年/中公文庫など)の舞台は昭和10年代。主役は大阪船場の老舗・蒔岡(まきおか)家の4姉妹だが、下の妹2人が本家を嫌って次姉の幸子夫妻が住む芦屋の分家に居場所を求めたため、物語は阪神間(大阪と神戸に挟まれた地域)を中心に進むのだ。
アラサーの三女雪子の婚活と、人形作家として夙川(しゅくがわ)(西宮市)に仕事場を持つ四女妙子の恋愛事件が主な内容だけれども、特筆すべきは1938年にこの地域を襲った大水害が克明に描かれていることで、これが妙子の人生にも影を落とす。一度は読みたい谷崎文学の最高峰だ。
山崎豊子『華麗なる一族』(1973年/新潮文庫)は高度成長期の神戸が舞台。高級住宅地で知られる東灘区岡本に邸宅を構え、夏は六甲の山荘から通勤する万俵家は絵に描いたような財閥ファミリーだ。阪神銀行の頭取で家長の万俵大介が進める銀行の合併や、長男鉄平が専務を務める阪神特殊鋼の高炉建設と並行して描かれる、次男と次女の閨閥(けいばつ)結婚。妻妾(さいしょう)同居という異様な環境の下で進む物語は韓国ドラマの財閥モノのごとし。エグさ全開、虚飾まみれの世界観がたまらない。
富裕層が存在すれば、その逆もあり。灰谷健次郎『兎(うさぎ)の眼(め)』(1974年/角川文庫)は、『華麗なる一族』とほぼ同時代の物語だ。
H工業地帯(阪神工業地帯?)の一角に立つ小学校。学校の隣には塵芥(じんかい)処理所(ゴミ焼却場)があり、学校には処理所の長屋の子たちも通ってくる。新米教師の小谷先生と1年生の「ハエ博士」鉄三との交友から始まる物語はやがて教師や児童も含んだ処理所の移転反対運動に発展する。〈人間は抵抗、つまりレジスタンスが大切ですよ〉。煙と悪臭の町のヒューマンな物語である。
一方、こちら瀬戸内の淡路島。阿久悠『瀬戸内少年野球団』(1979年/岩波現代文庫)は、国民学校3年生で敗戦を迎えた主人公の竜太らが野球と出会う物語だが、中心を占めるのは、敗戦後すぐの島の人間模様である。担任の駒子先生の元に復員兵として帰ってきた、戦死したはずの夫。都会風を吹かせつつ通り過ぎていった、友人の兄と姉。橋もフェリーもなかった時代、しかも島の中でも片田舎とされる西海岸(西浦)と京阪神の都会との、近くて遠い距離感が絶妙!
さて、野球といえば甲子園球場も兵庫県(西宮市)である。高校球児となった弟とは裏腹に運動神経がない主人公の大地。朝倉宏景『あめつちのうた』(2020年/講談社文庫)は同球場の「神整備」で知られる阪神園芸に取材した青春群像劇である。「雨降って地固まる」を地で行くグラウンド整備という仕事。球場のど真ん中に立つ大地が構えたホースからほとばしる水がまぶしい。裏方の美学ってやつである。
阪神・淡路大震災から来年でちょうど30年。町はすっかり復興したが記憶の風化も進んでいる。
真山仁『それでも、陽(ひ)は昇る』(2021年/祥伝社文庫)は震災三部作の完結編。95年の震災で妻と娘を失い、東日本大震災後、東北の被災地で教師をしていた主人公の小野寺が神戸に戻ってきた。震災を知らない世代に何をどう伝えるか。〈本当の復興って、もっとメンタルなもんやないかと、俺は思ってるんや〉。彼が出した結論は「失敗の経験」を伝えることだった。
先の戦争でも神戸は大きな空襲を経験した。華やかな表層の下の現実を文学は直視し続けている。=朝日新聞2024年6月1日掲載