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おおきなお風呂 澤田瞳子

 最近、大浴場が急に好きになった。小さい頃から烏(からす)の行水で、友達と温泉旅行に行っても一人だけさっさと風呂から上がってしまい、「温まってないんじゃない?」「せっかくの温泉なのにもったいないよ」と言われ続けてきたにもかかわらず、だ。

 とはいえ、落ち着いて温泉に行く機会は最近は作りづらい。ならせめてと仕事の宿泊先に大浴場付きホテルを選びもしてみたが、いつも日中の仕事で疲れきり、わざわざ浴場に行く元気が残っていなかった。

 我が家から小一時間の距離には、スーパー銭湯が複数ある。こうなればどうにか半日ほど時間を捻出しよう――などと考えながら郵便局に出かけた帰り道、ふと「そうだ、銭湯があるじゃないか」と気付いた。思い立ったが吉日、そのまま近所の一軒に飛び込んだ。

 当然、タオルも石鹼(せっけん)類も持っていない。番台で尋ねれば、それぞれ四十円でレンタル・購入可という。ただポケットに小銭だけ突っ込んだ女客は珍しいらしく、「ご旅行ですか?」と番台の女性に聞かれた。

「いえ、近所の者です」

 ならどうして手ぶらなんだ、と思われているのがよく分かった。わたしとて普段なら家まで入浴道具を取りに行くのだが、不思議にその時はそんな気分になれなかった。

 平日夕方の銭湯は客が少なく、大浴場の湯は熱かった。小さな石鹼と使い切りのシャンプーで入浴を済ませ、脱衣所で普段はほとんど見ない夕方の情報番組を眺めた。

 ドライヤーは有料で、ポケットに残る小銭では足りなかった。濡(ぬ)れた髪のまま銭湯を出ながら、もしかしたら私が好きになったのは実は大きなお風呂ではなく、日常を少しだけ飛び出す自由そのものではと考えた。ならば今、私は人生で一番大きく素敵なお風呂に出会えたのだ。ただそれは次に訪れた時にはもう、ごく普通のお風呂になってしまうのだろう。そうやって平凡を少しずつ広げていくことが、生きるという行為なのかもしれない。=朝日新聞2024年6月19日掲載