チャーミングなおじさんを主役に
―― 舞台は、町のはずれの小さなお店。床屋のバルバルさんは、思いがけずやってきた動物のお客たちに驚きつつも、風変わりなリクエストにやさしい笑顔で応じ、期待以上の仕事をしていく。2003年に月刊「こどものとも年中向き」の一冊として刊行され、2008年にハードカバー化されたロングセラー絵本『バルバルさん』(福音館書店)。作者の乾栄里子さんと西村敏雄さんはご夫婦で、ともに『バルバルさん』で絵本作家デビューした。
西村敏雄(以下、西村) 僕はもともとテキスタイルデザイナーとして、インテリアメーカーに勤めていたんです。その後、会社を辞めて独立して、テキスタイルだけでなく家具のデザインなんかも手がけるようになって。ミラノサローネに出したりもしたんですが、退職金を全部そこに注ぎ込んだので、すっからかんになってしまったんです(苦笑)。
ちょうどその頃、乾さんが子どもに絵本を読んでいるのを横で聞いていて、絵本って面白いな、イラストはわりと得意だし、やってみようかなと思うようになりました。最初は自分で文も書くつもりだったんですが、子どもの頃にも絵本はたいして読んでいなかったし、小説も全然読んでこなかったので、ストーリーが浮かばない。乾さんは読書家だから書けるんじゃないかってことで、書いてほしいと頼みました。
乾栄里子(以下、乾) 読書家だったら書けるだなんて、全然わかってないですよね(笑)。確かに彼に比べれば、本は読んできましたけど。
私は6人きょうだいの上から2番目で、子ども時代は寝る前に母が「みんなおいで」と布団の周りに子どもたちを集めて、本を読んでくれるのが日課でした。子どもが生まれてから絵本をまた手にとるようになったんですが、私が絵本から離れている間に新しい作家さんが大勢活躍されていて、面白い絵本とたくさん出会うことができたんですね。母が、昔読んだ絵本を孫のためにと送ってくれたりもして、古い絵本も新しい絵本も、いろいろと読み聞かせしていました。
自分はあくまで読者であって、書き手になるとは思ってもみなかったんですが、子どももまだ小さいし、とにかく西村に仕事をさせなければという一心で、お話を書き始めました。
―― 乾さんにとっても初めての絵本作り。ストーリーはすんなりとは生まれなかった。
乾 何作か書いて見せたんですけど、面白くない、そんなのに絵はつけられないって言われて。
西村 そこまで言った?(苦笑)
乾 言われたんです、これは面白くないって。それなら、西村の得意な絵でお話を作ろうと考えました。最初は子どもたちが登場するお話を書いていたんですけど、学生時代に西村が描いていたのは、ちょっと怪しいバーでおじさんがお酒を飲んで葉巻を吸っているようなイラストだったんですね。それならおじさんを主人公にすればいいのかなと。
実際、おじさんが主役のお話を渡したら、すごくチャーミングなおじさんを描いてくれて。やっぱり得意なものを描く方が圧倒的にいいものが生まれるんだなと実感しました。
それに思い返すと、私も子どもの頃からおじさんが結構好きなんですよね。特に仕事をしているおじさんを見るのが好きで、クリーニング屋さんがアイロンをかける姿をじーっと眺めたり、テレビでもアイドルそっちのけで脇役のおじさんばかり応援したりしていました。かっこいいおじさんよりも、ちょっととぼけた味のあるおじさんが好みでしたね。
西村 お互いおじさん好きってこともあって、うまくいったんでしょうね。
個性的なバルバルさんの風貌はこうして生まれた
――『バルバルさん』の絵は、ほぼ一発描きのものがそのまま採用されたという。
西村 当時の僕は絵本についてまったくの素人だったので、作り方も自己流でした。乾さんがページ割りも含めて話を作っていたので、それに合わせて、B3のイラストボードに直に絵を描いて色を塗っていきました。左ページの手前にバルバルさんがいて、右ページ奥のドアから動物が入ってくる、みたいな大まかな構図も乾さんがある程度考えてくれていましたね。
乾 毎回同じところから動物が入ってきた方が面白いと思ったので、ドアは定位置にしてねと西村に伝えました。バルバルさんが手前でお客さんを迎えて、次の見開きでチョキチョキして、その次の見開きでできあがる、その繰り返しが面白いんじゃないかなと。
西村 完成した絵をスキャナーで取り込んで、テキストを載せて印刷して、ダミー本を作って出版社に持ち込みました。そうしたら、ほぼそのままの形で採用になったんです。最後だけ、ヤマアラシのトゲをペンチで切る場面がわかりにくいと言われて、別の小さな動物にしようということになり、リスがシャンプーする場面に変えたんですが、変更はそれだけでしたね。
本当はその絵はラフで、出版が決まったら描き直すつもりでした。でも、勢いがあっていいから、このままでいきましょうと言われて。絵本の判型とは違う縦横比で描いていたので、実は結構大胆にトリミングされているんですよ。おかげで思いのほかダイナミックな構図になりました。
―― やさしい笑顔で仕事をするバルバルさんは、床屋が苦手な子どもにも人気だ。読者からは、バルバルさんのおかげで子どもが床屋さんに行けるようになった、という声も多く届いた。
乾 うちの息子も床屋さんが苦手で、中学生になるまで私が切ってたんですよ。だから『バルバルさん』がきっかけで床屋さんに行けるようになったと聞いて、お子さんたち、お母さんたちの役に立てたなとちょっとうれしくなりましたね。
西村 バルバルさんのイメージについては、丸顔ではないってことだけ乾さんから聞いていて、あとは任されていたんです。だから、なんかちょっと面白くしたいなと思って、金髪ロングの七三分けにしてみました。
乾 変な髪型ですよね(笑)。
西村 鼻は平仮名の「し」みたいだし、目もこんなに離れちゃって(笑)。勢いに任せて描いていたので、目が大きくなったり小さくなったりと、顔の印象がページごとでだいぶ違うんですよ。
乾 いつもにこにこして動じない、チャーミングなおじさんになりましたよね。それから大きな発見だったのは、西村は動物も描ける、ということ。それまで彼の動物の絵はあまり見たことがなかったので、動物をこんなに楽しく描けるとは全然知らなくて。『バルバルさん』で動物が開花したのは大きかったですね。
西村 動物の仕事が増えましたね。女の人を描くのはいまだに苦手ですけど(笑)。
乾 ワニがかつらを選ぶ場面では西村が本領を発揮していて、思いっきり面白いかつらを描いています。今ならここまでふざけることはないんじゃないかな。
西村 のびのび描いてましたね。自分なりの個性を出して、編集者の目に留まりたいという思いも強かったので、僕の趣味がかなり出ている気がします。たとえば最初の見開きで、窓の外に自転車に乗る怪しげなおじさんを描いてるんですけど、こういう怪しいキャラクターは今ではなかなか描かないでしょうね。
20年の時を経て出版された、幻の1作目
―― 西村さん、乾さんのデビュー作は『バルバルさん』だが、実はその前にもう一冊、作っていた絵本があった。『ヴィンセントさんのしごと』だ。世界中の子どもたちからくる手紙を読んで、問題を解決する仕事に淡々と取り組む紳士的なおじさんを描いた。
西村 『ヴィンセントさんのしごと』が出版社に持ち込んだ最初の絵本でした。ただそのときは、出版には至らなくて。
乾 相当がっかりして帰ってきたのを覚えています。でも編集者さんが気に入ってくれていて、いつか世に出したいとずっと思ってくださっていたみたいで。5年前に月刊「こどものとも」で出て、今年2月にハードカバー化されました。
西村 表紙と裏表紙は描いていなかったので、出版前に描いたんですが、それ以外は全部20年前に描いたときのまま。絵は当時、かなり力を入れて描いたので、出版されることになってうれしかったですね。
乾 おじさん、街の風景、インテリアなど、西村が隅々までこだわって、楽しんで描いていることが伝わってくる絵ですよね。
――『バルバルさん』はその後シリーズ化され、2021年には『バルバルさん きょうは こどもデー』がハードカバー化された。月刊「こどものとも」では3作目『バルバルさんと おさるさん』も刊行されている。
乾 シリーズ2作目が出るまで、14年もかかってしまいました。続編を、という話はずっとあって、床屋さんではなく別の職人さんのお話にしようかとか、いろいろとアイデアは考えたんですけど、全然書けなくて。
西村 クリーニング屋のおじさんのお話を書いてたよね。
乾 クリーニング屋さんのお話はボツになりました。でも『バルバルさんと おさるさん』に出てくる破れた貼り紙のくだりは、クリーニング屋さんのお話で使っていたアイデアなので、無駄にはならなかったと思っています。
西村 実は、シリーズ4作目が来年度、月刊「こどものとも」として出る予定です。2作目以降はわりと期間を空けずに作ることができました。
―― 昨年、夫婦そろって絵本作家デビュー20周年を迎えた。
乾 子どもが成長して自分の時間がたっぷりとれるようになったので、前よりもどんどんお話が書けるようになりました。西村のおかげで思いがけず足を踏み入れた世界ですけど、お話作りはとても楽しいので、引きずり込んでもらってありがたかったなと思いますね。
西村 2人で絵本を作るとき、以前はお互いに言いたい放題でしたけど、それだと喧嘩になってしまうので、今は途中経過は見せ合っていません。
乾 距離の取り方がうまくなったよね。
西村 最近は乾さんのお話を別の絵描きさんが描くことも多くなってきましたが、『バルバルさん』以外にも2人での絵本を予定しているので、楽しみにしていてください。